ブログ

入学式

2024年4月10日 13時17分
校長室より

4月9日に、73名の新入生を迎え、全校生徒237名による新たな学校生活がスタートしました。

入学式では、新入生と保護者の皆様に、式辞として次のような話をさせていただきました。

暖かい春の季節を迎え、新緑の若葉がすくすくと伸びる今日のよき日に、多くの御来賓の皆様、保護者の皆様の御臨席を賜り、令和6年度 愛媛県立川之石高等学校第77回入学式を挙行できますことは、本校教職員一同の大きな喜びでございます。厚くお礼を申し上げます。

ただ今、入学を許可いたしました73名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。皆さんを心から歓迎いたします。保護者の皆様におかれましては、お喜びもひとしおのこととお祝い申し上げます。

本校は、大正3年に実践農業学校として開校して以来、「体験」から学び「人格」を養成する、という校風を受け継ぎ、今年度、創立110周年を迎える、歴史と伝統のある学校です。卒業生は、1万7千名以上に上り、多くの先輩方が、経済界や文化・芸術界などにおいて、地元はもとより、日本全国で、大いに活躍されています。

新入生の皆さんは、本校の伝統を誇りとし、先輩方を目標として、これからの3年間、自分の力を精一杯伸ばし、その力を十分に発揮しながら、充実した高校生活を送ってほしいと願っています。

その高校生活の始まりに当たり、本校の校歌についてお話をします。1番から3番までの校歌は、いずれも、母校、川之石高校を称える、「ああ わがまなびや」という言葉で締めくくられます。そして、その言葉の前には、本校の3つの在るべき姿、すなわち、1番は「ふかき真をきわむるところ」、2番は「清き心をはぐくむところ」、3番は「若き力ののびゆくところ」、が、掲げられています。

本校は、校歌の1番で、本当に大切なことを一生懸命に追究することができる学校であること、2番で、素直で誠実な心を大事にする学校であること、3番で、一人一人が力を高め発揮することができる学校であること、を、宣言しているのです。

新入生の皆さんには、これから、校歌を歌ったり、体育館に掲げられた歌詞を見たりするたびに、この歌詞の意味を思い返してほしいと思います。

日々の生活の中で、周囲に流され、惰性で過ごしてしまいそうになった時には、「自分にとって、大切なものを見失っていないか」「誠実な心で、人と接しているか」「自分の力を、伸ばす努力をしているか」、と、自分自身に問いかけてみてください。

私は、皆さんが、高校生活の中で、自分自身と自分の夢を大切にし、また、それと同じように、相手と相手の夢を尊重する心を育て、互いに励ましあいながら、それぞれが、なりたい自分となり、その夢を実現することを目指して、大きく成長されることを、心から期待しています。

最後になりましたが、保護者の皆様に申し上げます。お子様は、これから一歩一歩、自立への道を歩むことになります。心の優しい、生きる力を持った若者に育つことは、御家庭と学校の、共通の願いです。私たち教職員一同は、本日からお子様をお預かりし、御家庭と協力しながら、精一杯、その歩みを支えてまいります。

ここに、あらためて、本校の教育活動に対する御理解と御支援を賜りますよう、お願いを申し上げ、式辞といたします。

第1学期始業式

2024年4月10日 12時24分
校長室より

川之石高校も2年目となりました。校長の矢野重禎と申します。今年度もよろしくお願いいたします。

令和6年度、第1学期終業式の式辞として、次のような話をさせていただきました。

改めまして、皆さん、おはようございます。今日は、令和6年度、第1学期の始業式です。

先日の、終業式から、まだ二十日、離任式からでは、まだ十日ほどしか経っていませんが、あの時に2年次生であった皆さんは、学校のリーダーとして下級生を導く3年次生に、1年次生であった皆さんは、学校の中核として活躍する2年次生になりました。そして、明日には、新しい1年次生が入学してきます。

季節は巡り、毎年同じことの繰り返しに見えるけれど、その間に、人も自然も、少しずつ、しかし、着実に成長しているのだ、という話を何かで読みましたが、皆さんの様子を見ると、本当にそう思います。

さて、そのように、成長の可能性あふれる皆さんに、先日の終業式では、花の呼び名を例にして、「言葉には力がある。言葉を大切に使ってほしい。」というお話をしました。

明日、入学してくる1年次生の中には、新しい環境で、不安を感じている人も、いると思います。分からないことがあったり、困っていたりする様子を見かけたら、皆さんの側から、言葉をかけてあげてください。その言葉により、力づけられる1年次生が、必ずいます。

どのような言葉をかければよいか、迷うかもしれませんが、そのような時には、自分が相手の立場だったら、どのような言葉をかけてほしいか、考えてみましょう。

逆説的に聞こえるかもしれませんが、相手を大切にできる人は、自分自身を大切にできる人だと思います。自分自身を大切にするからこそ、相手から大切にされるとは、どのようなことなのか、どのようなときに大切にされたと感じるのかを、理解できるのではないでしょうか。

今年度、3年次生の皆さんは、進路決定の年次として、2年次生の皆さんは、その準備の年次として、大切な年を迎えます。皆さん、自分自身の気持ちや、将来の夢を大切にしてください。そして、自分自身の気持ちや夢と同じように、相手の気持ちや夢を、大切にできる人になってください。

皆さんが、お互いの夢の実現に向け、互いに励ましあい、応援しあえるような仲間として、成長していくことを期待して、第1学期始業式の式辞とします。

第3学期終業式

2024年3月19日 10時08分
校長室より

第3学期終業式の式辞として、次のような話をさせていただきました。

改めまして、皆さん、おはようございます。今日は、3学期の終業式です。

「式」と言えば、先日の卒業式は、皆さんが、3年次生のために、心を一つに取り組んでくれたおかげで、大変、立派な式となりました。ありがとうございました。

さて、今日は、その卒業式の日に、なるほど、と思ったことから、お話しようと思います。

卒業式の日、式場に、きれいな花が、いっぱい飾られていたことには、皆さん、気づいたと思います。本校で大切に育てられた花で、式の後には、事務室前で販売され、多くの方に、喜んで買って帰っていただきました。

私自身も、計6鉢、購入させてもらったのですが、その花の横には、その名前として、「シネラリア」かっこ「サイネリア」、と、2つの名前が掲示がしてありました。

なぜなのかなと、調べてみると、以前は、「シネラリア」と呼ばれていたものが、「死ね」という言葉を連想させるということで、最近は、「サイネリア」と呼ばれるようになったとのことで、なるほどな、と思ったのです。

このような言いかえは、他にも聞いたことがあります。川などの水辺に生えている背の高い草の「あし」は、「悪しき」という言葉を連想させるので「よし」に、イカをほした「するめ」は、お金を、ギャンブルなどで「する」という言葉を連想させるので、「あたりめ」に、果物の「なし」も「なし」はよくないので「ありのみ」と呼んだりする、というようなものが、例として挙げられると思います。

このように、昔から私たちは、言葉には力があると考え、悪いことを連想させるような言葉を使うことを避けてきました。 

言葉は、コミュニケーションツールとして、私たちの日常生活に欠かせませんが、言葉には、人を傷つけたり、誤解を与えたりするような力も ありますので、言葉の使い方には、十分注意しなくてはなりません。

もちろん、その一方で、言葉には、人を励ましたり、勇気づけたりする力もあります。

困っている人に優しい言葉をかけたり、目標に向かって努力している人を応援したりすることで、相手の心を大きく動かすこともできます。

そして、そのような言葉を用いることで、相手の人だけでなく、自分自身も、明るく、前向きに考え、行動することができるようになるのではないでしょうか。

言葉は、自分の心を映す鏡だと言われます。自分がどんな人間になりたいのかを考え、なりたい自分にふさわしい言葉の使い方を、普段から、意識しながら、家族や友人、先生たちとの会話を楽しんでほしいと思います。

以上、新しい年次を迎える心構えとしてお願いし、第3学期終業式の式辞とします。

第3学期校内球技大会

2024年3月14日 08時42分

3月13日に実施された校内球技大会で、次のような趣旨の挨拶をさせていただきました。

皆さん、おはようございます。

今日は、第3学期の、校内球技大会です。

1学期の球技大会は、新型コロナ感染症拡大の影響で実施できませんでしたが、2学期の球技大会は予定通り実施でき、私も川之石高校で、初めての球技大会を、しっかりと観戦することができました。

2学期の球技大会を観戦しての感想ですが、まず一つ目に、皆さん、とても上手だなと思いました。専門の競技ではないはずなのに、なぜ、こんなに上手なのかと驚きました。

そして、二つ目ですが、皆さん、とても楽しそうだなと感じました。

球技大会で、勝つことを目指すのは当然ですが、それだけでは、みんなが楽しめる球技大会には、なりません。プレーする時も、応援する時も、味方チームのメンバー、対戦チームのメンバー、そして審判など、相手の立場や気持ちを、思いやることができてこそ、みんなが楽しめる、素晴らしい球技大会になるのだと思います。

2学期の球技大会が、私から見て楽しそうに感じたのは、皆さんが、互いに思いやりを持ってプレーしていたからだと言えるのではないでしょうか。

今日の球技大会は、3年次生が卒業し、1・2年次生だけで行う大きな学校行事です。皆さんが、思いやりを持ってプレーしてくれることで、楽しく、安全な球技大会となるよう期待して、開会のあいさつとします。

「図書館報」第79号

2024年3月6日 11時18分
校長室より

「図書館報」第79号に、「活字の楽しみ」の題で、次のような文章を掲載させていただきました。

私の好きな作家の一人に椎名誠さんがいます。椎名誠さんは、その作品が国語の教科書に掲載されたりしているので、皆さんの中にも知っているという人がいるのではないでしょうか。初期の「昭和軽薄体」と呼ばれたエッセイから、「怪しい探検隊シリーズ」等の冒険?小説、「岳物語」等の私小説、「武装島田倉庫」等のSF小説まで、そのジャンルは幅広く、どれも面白く読みやすくいものばかりです。教科書等で読んだことがあるという人も、それ以外のジャンルの作品にも手を伸ばして、ぜひ読んでみてください。

その、椎名誠さんの作品に、「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」というものがあります。あるトラブルをきっかけに、本がない生活など耐えられないというほど読書好きな友人に対して恨みを持った主人公が、報復のためにその友人を味噌蔵に閉じ込め、活字というものを一切読めないようにしてしまう、というお話です。

「活字中毒」という言葉には馴染みがないかもしれませんが、文字を読むことが好きすぎる人や状態を指す言葉として使われています。読書好きで知られ年齢も皆さんと近い、女優でタレントの芦田愛菜さんも、自分自身のことをそう表現し、「読むものがないときは調味料の裏まで読んでしまう」と述べているそうです。

私自身は、よほどでないと調味料の裏まで読もうとは思いませんが、公共施設などに置いてある企業や自治体の広報誌、バスや列車の座席の背もたれに挟んである広告やパンフレットなどには、つい手を伸ばしてしまいます。校長室にも、いろいろなところから学校に送っていただいた広報誌やパンフレットが回覧されてくるのですが、時間がないときには少し手元に置かせてもらうなどして、ほぼ目を通していると思います。

ちなみに、今、手元には、西宇和農協や電力会社、農業クラブの広報誌、地域研究センターによる県内企業経営者へのインタビュー集などがあり、「みかんの宣伝販売車、にしうワゴン」「河野さんの早生みかん、県知事賞受賞」「幻の果実、柚香(ゆこう)」「佐田岬はなはな、地中熱と青石を利用し冷暖房」「あわしま堂、そのターニングポイント」などの記事を楽しく読むことができました。変わったところでは、日本石灰窒素工業会発行の「石灰窒素だより№158」という冊子があり、内容は専門的過ぎてあまり頭には入りませんでしたが、そのネーミングと158号も発行されているということについて楽しむことができました。

このように活字が好きな私ですので、本そのものも、読み終わったからとか古くなったからといってなかなか手放すことができません。先日も、本校の図書館の収蔵本の廃棄リストが回ってきたのですが、本当に廃棄していいのかな、とリストを見直してしまいました。毎年、新しい本が入ってくる以上、廃棄しなくてはならない本があることは分かっていますし、知識や技術そのものが古くなってしまった実用書などについては廃棄も仕方ないと思うのですが、いったん廃棄してしまうと、その本に込められていた知識や作者の思いは、永久に消えてしまいます。そのような目でリストを見て、「郷土史話 百姓一揆」という本については、実物を校長室まで持ってきてもらいました。読んでみると、この西宇和地区という郷土に生きた私たちの祖先が、みんなの命をつなぐために起ち上がった歴史が生き生きと語られていました。廃棄するには忍びなく、今もこの本は手元に置いてありますので、興味がある方はどうぞ。そして、私自身が小中学校時代から捨てられず、自宅の本棚に並べている本やその作者については、またの機会があれば書かせていただこうと思います。

「たちばな」第65号

2024年3月1日 12時33分
校長室より

「たちばな」第65号の巻頭言として、「故郷に誇りを ―自己のよりどころとして―」の題で、次のような文章を掲載させていただきました。

令和5年度は、今後の川之石高校にとって大きな意味を持つ1年となりました。令和5年3月に愛媛県県立学校振興計画が発表され、全日制の県立高校と中等教育学校が、令和9年度までに、現在の55校から45校に再編されることになったのです。八幡浜地区では、令和8年度に、本校と八幡浜高校、八幡浜工業校が統合されることになりました。2学期には新しい学校の校名を決めるためのアンケートが実施されたり、制服に関する話し合いが始まったりするなど、皆さんも、統合が近づいていることを実感しているのではないでしょうか。

ところで、この振興計画の策定に当たっては、地元の方たちの意見を聞くために、各地区で、「地域協議会」や「地域説明会」が開かれてきたのですが、県のホームページに掲載されている八西地区での記録を見ると、「八幡浜市3校の統合については、他地域に先んじた検討を」といった意見が出されるなど、県内の他の地域に比べて、高校の統合に前向きであったことが分かります。

このことについて、県内の産業や歴史に詳しい方が、「八幡浜は伝統的に商人の町だ。殿様に頼り従うのではなく、自分たちで考え行動する主体性と進取の気性を持っている。そのため、母校を残したいとの思いがあるのは当然である中、生徒数の減少等の状況から、市内3校を統合して南予最大規模の高校として発展させた方がよいと判断してこのような意見が出されたのだろう。」とおっしゃっているのを聞いて、なるほどと思いました。

皆さんは、この八幡浜地区が、古くは「伊予の大阪」と謳われ、中でも川之石は、明治11年(1878年)に本県で最初(四国で2番目)の国立銀行である「第二十九国立銀行」(今の伊予銀行)が設立された地であることは知っていると思います。

この資金を活用して、明治20年(1887年)に、四国で初の紡績会社であり四国で初めて電灯が灯された「宇和紡績株式会社」(後の東洋紡績)が設立され、同じ明治20年代に、別子銅山に次いで四国第2位の産出量を誇った銅鉱山が開発・操業されました。ちなみに、もともと川之石は埋め立てが盛んな地域で、川之石小学校や伊予銀行の辺りも海だったところですが、中学校の敷地はこの鉱山の廃石の捨て場として造成されたものです。二十九銀行を核として、川之石は、南予の商業・金融の中心地として発展しました。

では、なぜ、愛媛で最初の近代銀行が、松山でも宇和島でもなく、この川之石の地に設立されたのでしょうか。

雨井、川之石という良港を持つ川之石は、江戸時代から海運業が盛んでした。川之石の廻船問屋は千石船を持ち、地域特産の「木蝋」や魚、九州方面の米や材木などを大阪に輸送していました。川之石や周辺の豪商や豪農らも、この大阪との交易にはもちろん、長崎貿易にも直接関わっていたそうです。明治時代の記録ですが、川之石村の帆船は約500隻、年間の出入港は約2600~2900隻もあったということです。

この海運を通して、日本の商業の中心であった大阪(川之石出身者も多くいた)から、最新の知識と情報が、松山などは飛び越えて届けられていたことが、ここ川之石における銀行の設立と、その後の発展につながりました。当初、銀行設立の話は宇和島に持ち掛けられたそうですが機運が盛り上がらず、その話は「蝋座」を設けて金融が豊かであった川之石に持ち込まれました。話が持ち込まれて半年後には銀行が営業を開始しており、その対応の早さには驚かされます。

銀行を立ち上げ株主となったのは12名で、士族は含まれておらず、ほとんどが保内組の商人たちでした。設置場所は川之石浦5番地、資本金は10万円で、これは現在の価値に換算すると十数億円に当たります。話を持ち込んだ伊達家や公的な機関からの出資は一切なく、この金額を分担するため12名は同盟書を締結するなど、非常な覚悟を持って設立に臨んだそうです。

このように、ここ川之石に設立された二十九銀行は、商人の手によって生まれた銀行で、貸出先も商人が中心でした。これは、この後、松山と西条に設立された銀行が、秩禄処分の一環として士族らに交付された金禄公債の資金をもとに士族を中心に設置され、貸出先も士族の新規事業が中心であったのと対照的です。

この地域の発展に大きく貢献していった二十九銀行の設立とその背景には、ここ川之石の人たちの、先進性や企業家精神がよく現れていると思います。

そして、ここ川之石の人たちの、新しいもの、新しい世界を求める精神が現れているのは、商業の分野だけではありません。世界初の、個人の船での太平洋帆走横断も、ここ川之石港から川之石の人たちの手によって行われました。

これを成し遂げた吉田亀三郎は、明治5年(1872年)2月28日に、川之石村楠浜で生まれました。亀三郎は、宇和海の腕のよい叩き上げの漁師で、ヤマたてがうまく操船にも長け、船長としての判断力や胆力にも優れていたので、「漁師の神様」と称されていたそうです。30歳のときにシアトルに渡り5年間働いて財をなし、帰郷して事業を始めましたが、ペストの流行が原因で失敗に終わりました。失地回復のため再度アメリカを目指しましたが、日本人の流入が警戒され労働移民が禁止されていたため、亀三郎は自ら船を仕立ててアメリカに渡ることを決意したのです。

明治45年(1912年)5月5日、リーダーで船長の亀三郎を始めとする5人は、住吉丸という「打瀬船」(底引き網で漁をする帆船。船体は伝統的な和船構造で、3本の帆柱を持つ)」で川之石港を出発、一路ワシントン州シアトルを目指しました。途中、進路を失い、南のガラパゴス諸島辺りまで流されたりしましたが、そこから北に向かって航海を続け、日本を発って76日目の7月18日に、目的地のシアトルより2000キロ南のサンディエゴにたどり着きました。この住吉丸の航海は、個人の船で成し遂げられた、世界初の太平洋帆走横断です。

亀三郎をリーダーとする5人の太平洋横断は、日本人排斥の動きのある中でも、小さな船で太平洋を渡ったセーラーたちの快挙として現地の新聞でも報じられましたが、この時は移民局により強制送還されてしまっています。しかし亀三郎は翌年もまた、川之石港から大規模に25人の仲間を引き連れて2度目の太平洋帆走横断を成し遂げ、カナダへ上陸しました。この時は取り締まりを逃れ、アメリカに移動して財をなし、日本にも何度か帰国しています。記録によればカナダ東部の鮭魚場で一番の船頭として働き、サーモン漁等で行なわれるトローリング漁法(打瀬舟漁法?)を現地の漁師たちに教え、現在まで受け継がれているそうです。

この小さな船で行われた太平洋帆走横断という偉業も、ここ川之石の人たちの、積極性とチャレンジ精神を現していると言えるのではないでしょうか。

川高生の皆さんは、ここ川之石の地と川之石の人たちが、このように素晴らしい歴史と伝統、精神と行動力を持っていることを誇りとしてください。これから社会に出れば、勉強、運動、仕事など多くの分野で、自分より優れた才能や実力を持った人たちと出会うことになります。これまで自信を持ってきたものについても、その自信を失ってしまうことがあるかもしれません。しかし、そのようなときにでも、絶対に負けないものが、自分たちの故郷や故郷に住む人たちに関する知識や思いです。

川高を巣立っていく3年次生の皆さんは、故郷への誇りを自己のよりどころとして、迷ったときにはいつでも頼り、帰ってきてほしいと思います。故郷は皆さんを温かく迎え、支え続けてくれることでしょう。

卒業式

2024年3月1日 12時26分
校長室より

3月1日に、第75回卒業証書授与式を挙行し、84名の生徒が本校を卒業しました。

卒業式では、卒業生と保護者の皆様に、式辞として、次のようなお話をさせていただきました。

校庭の木々の芽も膨らみ、春の訪れが感じられる今日の佳き日に、多くの御来賓の皆様、保護者の皆様の御臨席を賜り、令和五年度愛媛県立川之石高等学校第七十五回卒業証書授与式を挙行できますことは、我々教職員一同にとりまして大きな喜びであります。厚くお礼を申し上げます。

さて、ただ今、卒業証書を授与いたしました八十四名の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんが本校に入学した令和三年四月は、新型コロナウイルス感染症が第4波に入り、本県にもまん延防止等重点措置が適用された時期でした。入学以降、皆さんは、学校生活の様々な場面で、多くの我慢を強いられてきたことと思います。

それだけに、昨年5月に、同感染症が5類に変更されて以降、3年次生となった皆さんが、体育祭や川高祭といった学校行事や部活動に取り組む姿勢は、とても素晴らしいものでした。

皆さんは、これから社会に出て進んでいく中で、今回の新型コロナウイルス感染症のように、自分自身の努力ではどうしようもできないほど大きな壁に出会うことがあるかもしれません。しかし、そのような時でも、皆さんは、簡単にはあきらめない強い心と、周囲の状況を見極める確かな目を身に付けたはずです。

壁にぶつかった時には、今、自分は何をしたいのか、自分自身の気持ちと真摯に向き合い、壁がどのようなものなのか冷静に分析して、その時その時、できることに全力で取り組んでいってください。

皆さんは、世界初の、個人による帆船での太平洋横断が、ここ川之石港から、川之石の人たちによって成し遂げられたことは御存知でしょうか。明治四十五年、当時、アメリカで労働移民が禁止される中、川之石の漁師であった吉田亀三郎をはじめとする5人が、全長わずか十メートルほどの、打瀬船と呼ばれる、帆で風を受けて進む小さな漁船で、アメリカを目指しました。彼の生涯を描いた本の帯には、「おかみの都合で、ダメェいうなら、わしゃじぶんでゆく!」とあり、彼の壮挙を顕彰した、八幡浜自動車教習所の横にある記念碑には、「自ら萬里波濤を蹴って、海外雄飛の大望を決行せしは、世人をして驚嘆振起せしむる」とあります。振起とは、奮い立たせることです。当時の厳しい状況にも、屈することなく挑戦した彼の行動は、世の人々を勇気づけました。皆さんも、この地域の先人に学び、決してあきらめず、自分の夢を追い続けてほしいと思います。

最後になりましたが、保護者の皆様におかれましては、本校の教育活動を温かく見守っていただき、多大なる御支援と御協力を賜りましたことに、心から感謝いたしますとともに、慈しみ、大切に育ててこられたお子様が、本日、卒業の日を迎えられましたことに、改めてお喜びを申し上げます。

卒業生の皆さんは、保護者の方や、これまでお世話になった方々に、素直に感謝の気持ちを伝えてみましょう。皆さんは、これまでの、「言わなくても分かってもらえる」優しく親密な世界から、新しい世界に足を踏み出すことになります。そこは、「口に出さないと伝わらない、口に出しても理解してもらえないかもしれない」厳しい世界ですが、反面、これまでに触れたことがないような考え方や価値観に出会え、自分を変えるきっかけを与えてくれる、可能性に満ちた、広い世界でもあります。

新しい世界で、新しい人間関係を築き、新しい自分として飛躍していく皆さんの、御健康と御活躍を心から願い、式辞といたします。

令和六年三月一日

愛媛県立川之石高等学校長 矢野重禎

第26回総合発表会

2024年2月2日 13時22分
校長室より

2月2日に開催された総合発表会の開会行事と閉会行事で、次のような趣旨の挨拶と講評をさせていただきました。

【挨拶】

皆さん、おはようございます。

本日は、令和5年度、第26回川之石高等学校総合発表会を、保護者の方々、地域の方々をはじめ、学校関係の方々に御参観いただきながら、開催できますこと、心から嬉しく感じています。御参観いただきます方々に、改めてお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

さて、本日の発表会は、南予で唯一、総合学科を設置する本校にとって、とても大切な行事です。

総合学科では、皆さんの主体性を尊重して、個性を伸ばし、幅広い進路選択に対応できるよう、自由度の高い科目選択をはじめ、様々な取組を行っています。その中でも大切な取組の一つが、「総合的な探究の時間の充実」であり、1年次生は「産業社会と人間」、2年次生は「総合探究Ⅰ」、3年次生は「総合探究Ⅱ」、の授業の中で、皆さんは自分の将来像を描き、課題を見つけ、研究を行います。そして、その成果を、みんなで共有する場が、この総合発表会です。

代表として発表する生徒の皆さんには、自分の研究に自信を持ち、堂々と発表してもらいたいと思います。

また、参観する生徒の皆さんには、発表内容からは  もちろん、発表者の、研究に取り組んだ気持ちや姿勢からも、多くのことを学び、自分の研究を、広げたり深めたりする、手掛かりとしてほしいと思います。

本日の発表会が、皆さんにとって、貴重な成長の 機会となることを期待して、開会のあいさつとします。

【講評】

まずは、発表してくれた皆さん、お疲れさまでした。

最初に、「産業社会と人間」で、ライフプランを発表してくれた1年次生3名の皆さん。皆さんが、自分の将来に真剣に取り組んでいることが伝わってくる内容でした。

以前もお伝えしましたが、何も行動しないまま、学力面や経済面から、自分の将来に自分で限界を設け、あきらめてしまうのは、とても、もったいないと思います。

自分の将来は、先が見えないという意味で、迷路と似ていますが、迷路も、その場に立ち止まったままでは、どの道が正しいのか、行き止まりなのかは、分かりません。

自分の将来のため、まずは行動し、一歩、先に進んでみましょう。

次に、「総合探究Ⅰ」で、ディベートの発表をしてくれた2年次生3名の皆さん。皆さんが、社会に関心を持ち、その課題を、自らの問題として取り組んでいることが伝わってくる内容でした。

皆さんが取り組んでいるディベートは、あるテーマに関して、『賛成派』と『反対派』に分かれ議論し、どちらが観客をより説得できたか、を競うことを 目的としています。このため、そのゲーム性が強調されることもありますが、私は、ディベートは、皆さんが生きていく上で、とても大切な訓練の場になると考えています。

ディベートで勝とうと思えば、意見に説得力を持たせるための根拠が必要です。物事を、うわさや印象だけで判断せず、それが真実なのか、その根拠を確かめるというのは、皆さんが 生きていく上で、大切な姿勢です。

また、私は、ここが特にディベートの大切なポイントだと思うのですが、ディベートで勝とうと思えば、相手の立論や反対尋問を予想することが必要になってきます。相手が、何をどのように考えるのか予想することは、相手の立場や価値観を尊重する姿勢につながります。

そして、相手の反対尋問を予想することは、自分の考え方を見直し、批判にも耐えうる、よりよい考え方に、改善していく姿勢につながります。

皆さん、これからもディベートに、積極的に取り組みましょう。

最後に、「総合探究Ⅱ」で、研究発表をしてくれた3年次生9名の皆さん。どの発表も、「なぜそれを研究するのか」という課題意識が明確で、「研究したことをどのように伝えれば皆に伝わるのか」という説得力に富んだ、「さすがに代表者の発表だ」、という、レベルの高いものでした。

これは、まさに、「産業社会と人間」や「総合探究Ⅰ」での、ライフプランやディベートの学びを通して身に付けた、成果であると感じました。

そしてそれは、今日、皆さんの代表として、見事な発表してくれた、9名の皆さんだけが身に付けたものではないとも感じています。

私は、これまで、「総合探究Ⅱ」の授業の時間に、各教室で、皆さん全員が発表するのを、できる限り多く参観してきました。もちろん、同時に行われているものを、全て見ることはできませんでしたが、皆さん、一人一人が、しっかりと準備をし、大変立派な発表をしているのを、見て、知ることができました。発表に対して、質問をさせてもらったりしたこともありましたが、そのしっかりとした受け答えには驚かされました。

今日、代表として発表してくれた皆さんに対してはもちろん、これまで、「産業社会と人間」、「総合探究Ⅰ」、「総合探究Ⅱ」、にまじめに取り組み、地道に、自分の能力を伸ばしてきた全ての皆さんに、拍手を送りたいと思います。

今後、3年次生の皆さんは、この成果を、自分の将来の夢の実現につなげていってください。

そして、2年次生と1年次生の皆さんは、引き続き、自分の研究に、一生懸命に取り組んでください。

最後に、発表会の運営や進行に協力してくれた、生徒の皆さん、先生方に、心からお礼を述べ、講評を終わります。

介護福祉士国家試験

2024年1月30日 15時43分
校長室より

介護福祉士国家試験を受験する皆さんに、(当日、不在でしたので)、次のような話を伝えていただきました。

皆さん、おはようございます。

皆さんが、今週末の日曜、1月28日に、介護福祉士国家試験を受験されると聞き、一言、挨拶をさせていただきます。

皆さんは、福祉系列を選択して以降、長い間、勉強と実習に励んでこられ、特に試験が迫った12月以降は、8限目までの授業や、休日の授業に 取り組むなど、最大限の努力を積み重ねてきたことと思います。

これまでの努力の成果を信じ、自信を持って、その上で、取りこぼしがないよう、試験の直前まで、勉強を続けてください。

私も、皆さんの前で、お話しをすることになった時に、その試験がどのようなものか、過去問を見てみました。

問題は5者択一で、125問あり、午前中に100分、午後に120分かけて解答すると知って、大変な試験であることが分かりました。

そして、その問題を見て、確かに法律の内容や専門用語、正しい手順や数値など、介護福祉士として求められる知識や技術を問う問題が多いのは 当然ですが、介護を必要とする方に接する際の、態度や姿勢、声掛けや質問の仕方、家族への配慮など、介護に携わる者としての心がまえや思いやりといった、人間性や適性を問われる問題も多く出題されているなと感じました。

これまで、多くの施設等で実習を積んできた皆さんは、その実践に裏付けられた知識や技術、そして何よりも大切な、介護を必要とする方へ  接する際の心構えを身に付けています。

試験当日は、緊張や不安を感じるかもしれませんが、そのような時にこそ、これまで実習を通して学び、身に付けてきたことを思い出し、自信を持って最後まで頑張ってください。

介護福祉士は、高齢化社会において、ますます重要な役割を担っていく職業です。

皆さんが介護福祉士となり、多くの人々の生活を支え、豊かなものにしていってくれることを期待して、激励の挨拶とします。

第3学期始業式

2024年1月9日 10時08分
校長室より

第3学期始業式の式辞として、次のような話をさせていただきました。

皆さん、おはようございます。令和6年がスタートして、はや1週間以上が過ぎましたが、この間、能登半島地震、羽田での衝突炎上事故といった、信じられないような出来事が、相次いで起こりました。

ふだん、当たり前だと思っていることが、当たり前でなくなり、いつでもできると思っていることが、できなくなるかもしれない、ということを、改めて実感させられた、年の初めとなりました。

2学期の終業式では、「先延ばし」についてお話ししましたが、「先延ばし」が、人類共通の習性であるとしても、「何事も、いつまでも先延ばしにしてはいけない、その時その時にやるべきこと、その時にしかできないことがある」、ということを、今、改めて感じています。

皆さんにとって、今日から始まる3学期は、各年次のまとめ、3年次生にとっては、高校生活の「総まとめ」の期間です。

と同時に、3学期は、1・2年次生にとっては次の年次への、そして3年次生にとっては新生活への、「準備期間」でもあります。

この3学期に、終わらせておくべきこと、あるいは、新たな準備として始めるべきことは何なのか、優先順位を付け、計画的に取り組みましょう。

私が、昔、担任をしていた時に、クラスの生徒に、「勉強にも部活動にも、フライングはないよ」という話をしていました。

テレビによく出ておられる、「いつやるか、今でしょ」で有名な林先生も、おっしゃっている言葉ですが、何事も早く始めた方が早く目標に到達できますし、到達する時が同じでいいなら、一日当たりにやるべきノルマは少なくて済みます。

例えば、次の年度末考査の勉強を、今日、始めてもいいのです。フライングの反則など、ありません。

逆に言うと、私たちが生きている社会の中で、誰かが「よーいドン」と言ってくれるものの方が少ないのです。社会に出れば、いつ、何をするか、ということを、自分で判断しなくてはなりません。

今のうちに、やるべきことを、やるべき時にやれるよう、訓練しておきましょう。

高校生活の今であれば、先生方もいらっしゃいますので、何をすべきか、アドバイスしてもらうこともできます。迷ったときや、分からないことがあるときには、是非、先生方に相談してみてください。教職員一同、皆さんを、全力で支えていきます。

皆さんの3学期が充実したものとなり、また、そのために、私たち教職員が、役立てることを願って、式辞とします。