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農業クラブ各種発表校内大会

2025年6月12日 11時58分
校長室より

農業クラブの各種発表校内大会が開催され、成人代表として、次のような挨拶をさせていただきました。

皆さん、こんにちは。私は、日頃の皆さんの、農業に関する、各種の大会やコンクールなどでの活躍を、先生方からの報告や、新聞やテレビの報道から知ることができていますが、実際に、この目で、見られる機会は、あまり、ありません。そのような中、本日は、皆さんの日頃の取組や思いを、直接、見聞きすることができるということで、大変、楽しみにしています。

ところで、私は宇和町に住んでいるのですが、今年は、米の価格が高騰していることもあってか、昔、田んぼで、最近は畑になっていたところに、久しぶりに水が張られ、田植えが行われています。朝日や夕日を反射し、一面が 輝く風景は、懐かしく、とてもきれいです。田んぼは、米を作るという役割だけでなく、水をためるダムの役割、土壌の流出、塩害を防ぐ役割、などを果たしているというのは、よく言われることです。

そして今回、皆さんに、挨拶をすることになったので、田んぼは、温度上昇も抑えてくれているのではないかな、確認してみよう、と思い、ネットで調べてみたのですが、全然知らなかった事実が書かれていて、驚きました。田んぼからは、温暖化の原因となるメタンガスが発生しており、大きな問題となっている、とのことでした。

農業は、人類の、持続可能な社会に欠かせない産業ですが、その実現に向け、解決し乗り越えていかなければならない課題が、まだまだ残されているのだな、と改めて感じました。今日の皆さんの発表は、そのような課題に直結するものではないかもしれませんが、農業に対して関心を持ち、自分の身近なところの課題に気付いて、その解決に取り組もうとする意欲を持ち続けることは、とても大切なことだと思います。

そのような皆さんの姿勢が、今後の農業の課題の解決と、さらなる発展につながることを期待しています。自信をもって堂々と発表してください。最後になりましたが、この発表大会に向けて、準備をしてくれた生徒の皆さんや先生方に感謝の意を表して、挨拶とさせていただきます。

農業クラブ総会

2025年5月1日 11時52分
校長室より

農業クラブ総会が開催され、成人代表として次のような挨拶をさせていただきました。

皆さん、こんにちは。私は、川之石高校に来るまで、農業科や系列のある高校に勤めたことがなかったので、川高に来てから、野菜やその苗、花やマーマレード等を購入し、とても楽しませてもらっています。

先日も、サイネリアを10鉢、野菜苗を30本、清美と日向夏を合わせ50キロ(くらいだったと思うのですが)買って、自宅で楽しむことはもちろん、親や親戚、知人にも配りました。川高の農産物を、きれい、とか、おいしい、とか褒められ、喜ばれると、とても誇らしい気持ちになります。

人を、このような気持ちにさせることができる農業は、素晴らしい産業だな、と、改めて実感していますし、それを学んでいる皆さんは、とても、いい選択をしているな、と、感じています。

そして、皆さんのように、農業を学ぶ生徒による、「自主的・自発的」な組織として、今から70年以上前に誕生したのが、この農業クラブです。皆さんと同じ若い世代の高校生が、未来の農業の発展のため、興味を持って農業を学び、未来の農業を担う人材となることを目指して、全国で活動しています。

本日はこの後、今年の取組などが、話し合われると聞いています。皆さんも、自分ができることを、「自主的・自発的」に見つけ、積極的に、活動してほしいとお願いし、挨拶とします。

令和7年度入学式

2025年4月9日 14時39分
校長室より

令和7年度入学式の式辞として、次のようなお話をさせていただきました。

やわらかな春の日差しを受け、美しい花々が咲きほこる今日のよき日に、多くの御来賓の皆様の御臨席を賜り、令和7年度 愛媛県立川之石高等学校第78回入学式を挙行できますことは、本校教職員一同の大きな喜びであります。厚くお礼を申し上げます。

ただ今、入学を許可いたしました69名の新入生の皆さん、そして保護者の皆様、本日は、まことに、おめでとうございます。在校生、教職員を代表いたしまして、お祝いを申し上げますとともに、心から歓迎いたします。

本校は、「地域に貢献する人材育成を」という熱い思いで設立された「伊方農業学校」と、「広く一般家庭の女子にも教育を」という声に応え設立された「川之石高等女学校」を母体とし、今年で、創立111年目を迎える、歴史と伝統のある学校です。

そして、来年の令和8年度には、八幡浜高校、八幡浜工業高校と統合し、新たな体制の下で、今後も、地域に必要とされ、地域とともに在り続ける学校を目指すこととしています。

川之石高校として、全ての年次が揃うことになる今年、令和7年度において、新入生の皆さんには、これからの高校生活の中で、2・3年次生と、ともに過ごす時間を大切にし、1万7千名を超える川高の先輩たちが、100年以上に渡り、この川高で紡いできた歴史と伝統を受け継ぎ、川高生としての誇りを、育んでほしいと願っています。

そこで、皆さんの、高校生活の始まりに当たり、本校の校訓についてお話をします。

校訓の一つ目は、「自学」です。自分から学び、判断し、行動する、ということです。将来の目標を明確にし、その実現に向け、自ら勉学に取り組んでください。成果が現れず、不安になることもあるかもしれませんが、そのような時にも努力を続ける、強い精神力を身に付けられるよう期待しています。

二つ目は、「誠実」です。真心を持って、人や物事に接する、ということです。自分を大切にする、と同時に、友人や家族、地域の方々を大切にし、その気持ちを、日々のあいさつや礼儀といった行動で示していくことで、皆さん自身も、周囲から信頼され、大切にしてもらえるようになるのではないでしょうか。

三つめは、「審美」です。本当の美しさとは何か、見極めることです。美しさは、いろいろな事物の中に存在します。自然、文化、スポーツといった、多くの分野に関心を持ち、追究することで、様々な角度からの、多様な、見方・考え方が育ちます。人として、「美しくある」とはどのようなことなのか、探し求めましょう。

最後になりましたが、保護者の皆様に申し上げます。お子様は、これから一歩一歩、自立への道を歩むことになります。他人を思いやる優しさと、予測困難な社会を生き抜く力強さを、兼ね備えた若者へと成長することは、御家庭と学校の共通の願いです。私たち教職員一同は、本日からお子様をお預かりし、御家庭と協力しながら、精一杯、その歩みを支えてまいります。

ここにあらためて、本校の教育活動に対する御理解と御支援を、お願い申し上げ、式辞といたします。

第1学期始業式

2025年4月9日 14時28分
校長室より

令和7年度、第1学期始業式の式辞として、次のようなお話をさせていただきました。

改めまして、皆さん、おはようございます。今日から、新しい年度、令和7年度がスタートします。

先日の終業式から、まだ二十日。離任式からでは、まだ十日ほどしか経っていませんが、あの時に2年次生であった皆さんは、学校のリーダーとして、下級生を導く3年次生に。1年次生であった皆さんは、学校の中核として活躍する2年次生になりました。

そして、明日には、新しい1年次生が入学してきます。

先日の終業式では、皆さんに、「挨拶」や「清掃」、といった、川高生の素晴らしい伝統を、新入生に伝えていってほしい、とお願いしました。新入生は、先輩である、皆さんの姿を、しっかりと見ています。言葉ではなく、皆さん自身の行動で、新入生を、川高生へと成長させてください。

川之石高校は、令和8年度に、八高、工業と統合し、新しい学校となりますが、この川高で学んだ生徒は、卒業し、どの学校に進んでも、どの企業に就職しても、そして卒業後、何十年たっても、川高生は、ずっと川高生です。

私は、毎年、東京や大阪、松山、そして八幡浜で開催されている同窓会に出席していますが、 同じ時間を川高で過ごし、同じ体験や感動を共有した川高の先輩方が、強い絆で結ばれ、また、川高を愛している姿を見て、とてもうらやましく、また、ありがたく感じています。

この令和7年度は、3つの年次が揃う、最後の年度となります。川高生という、強い絆で結ばれた3つの年次が一つになって、川高を、元気に盛り上げていきましょう。

そして、全体が元気であるためには、皆さん一人一人が元気でなくてはなりません。今年度、3年次生の皆さんは、進路実現の年次として、2年次生の皆さんは、その準備の年次として、大切な年を迎えます。目標とする進路を、簡単に決めたり、あるいは、簡単にあきらめたりせず、先生方ともよく相談しながら、その実現のために、元気に、全力で、取り組んでほしいと思います。

新しい1年次生を仲間に加え、川高生全員が、それぞれの目標の実現に向け、励ましあい、応援しあえるような仲間として、成長していくことを期待して、始業式の式辞とします。

第3学期終業式

2025年3月25日 17時04分
校長室より

第3学期の終業式の式辞として、次のようなお話をさせていただきました。

改めまして、皆さん、おはようございます。今日は3学期の終業式です。

先週は、皆さんが1年間過ごしてきた教室や校舎にワックスがけをして、とてもきれいにしてくれました。昨日は合格発表でしたが、これで令和7年度の新入生を、気持ちよく迎えることができます。一生懸命ワックスがけの作業に取り組む皆さんの姿を見て、改めて川高生の良さを実感しています。

私は、川之石高校に、2年前に赴任してきました。最初に感心したのが、皆さんが廊下ですれ違うたびに、「こんにちは」と挨拶してくれること。次に感心したのが、皆さんが、とてもまじめに清掃に取り組んでくれることでした。

清掃で特に感心したのは、最初に迎えた定期考査、1学期中間考査の期間中の掃除の時間です。それまで勤務してきた学校では、考査中の掃除の時間というと、その日の試験科目のノートや参考書を見るのが優先で、掃除ができていない、という生徒をよく見かけました。それが、川之石高校では、そのような姿を全く見かけなかったのです。そのことを近くにいた先生に話すと、「普通じゃないですか。」と言われ、少し拍子抜けしたことを覚えています。

私は、まじめに掃除に取り組む生徒を普通と言える、この川之石高校の伝統は素晴らしいと思います。4月に入学してくる新入生は、先輩である皆さんの姿を見て学び、出身中学校の生徒から川高生へと変わっていきます。ぜひ、皆さんが先輩たちから受け継いだ川高生の良い伝統を、自分たちで途切れさせることなく、新入生に伝えてあげてください。

最後に、今回、皆さんに、このようなことをお話ししようと思う中で、思い出した哲学者がいるので紹介します。ドイツの哲学者カントは、やりたいことを、やりたいようにやることが自由ではない、と述べました。例えば、「掃除の時間にノートを見たい、だから見る」。これは、「見たい」という欲求によって、自分の行動を決められてしまっているので、自由とは言えない。「ノートは見たいけれど、今は掃除をすべきなので、掃除をする」。これは、見たいという欲求に縛られず、自分が正しいと思った行動できている。これが自由だ、というのがカントの考えです。

明日から春休みとなります。「やりたいこと」と「やるべきこと」を、しっかりと区別して、充実した春休みを過ごし、新学期には、今よりも少し成長した皆さんと会えることを期待して、式辞とします。

第3学期球技大会

2025年3月25日 17時02分
校長室より

球技大会の開会式で、次のようなお話をさせていただきました。

皆さん、おはようございます。3月も半ばとなって、運動に適した季節となってきました。ニュースでも、毎日のように、メジャーリーグの大谷選手のニュースが流れています。

ここ愛媛でも、いろいろなスポーツを観戦することができ、例えば今日の球技大会の種目でいうと、バスケでは、オレンジバイキングスが苦戦しながらも頑張っていますし、サッカーでは、先日の愛媛FCとFC今治の対決で盛り上がりました。テニスでも、愛媛国際オープンという中四国・九州では初、日本でも上から2番目のグレードの大会が毎年開かれています。

スポーツは、するのも見るのも楽しいものですが、それは、目標に向かって努力しそれを達成する喜び、仲間との協力や対戦相手との真剣勝負を通して育む友情や尊敬、それらを観戦することで得られる勇気や希望、などを感じることができるからではないでしょうか。

球技大会も同じです。クラスの仲間と協力し、相手クラスのチームや審判を尊敬しながら、真剣に戦い、また全力で応援することで、みんなが楽しめる素晴らしい大会になるのだと思います。

今日の球技大会は、3年次生が卒業し、1・2年次生だけで行う、最初の大きな学校行事です。

「勝より笑!何が何でも楽しもう!」、というスローガンどおりの、笑顔あふれる大会となるよう期待して、開会のあいさつとします。

卒業式

2025年3月4日 11時41分
校長室より

卒業式の式辞として、次のようなお話をさせていただきました。

校庭の木々の芽も膨らみ、日ごと春めく今日の佳き日に、多くの御来賓の皆様、保護者の皆様の御臨席を賜り、令和六年度 愛媛県立 川之石高等学校 第七十六回 卒業証書授与式を挙行できますことは、我々教職員一同にとりまして、大きな喜びであります。厚くお礼を申し上げます。

さて、ただ今、卒業証書を授与いたしました八十一名の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんが本校に入学した、令和四年からの3年間で、世界は大きく変わりました。ロシアのウクライナへの侵攻と戦闘の継続は、人権や国家主権、集団安全保障といった近代国際社会の秩序を揺るがせました。新型コロナの感染拡大とwithコロナの新しい生活様式は、対面による人との交流や働き方を見直す契機となりました。そしてChatGPTのサービス開始に象徴されるAIの進化は、あらゆる場面でこれまでの常識を覆そうとしています。

私たちは、このような変化に、否が応でも向き合っていかなければなりませんが、これは簡単なことではありません。時には、変化に取り残されているような不安を感じたり、変化にいち早く対応し成功している人を、うらやましく感じたりすることもあるでしょう。私自身、そう感じたことがある一人ですが、最近、一つの文章に出会いました。

御存知のように、本校は今年度、110周年を迎え、記念行事等を執り行うことができました。その過程で手に取った、70周年記念誌に掲載されていたのが、本校卒業生で俳人の、坪内稔典先生による記念講演の記録です。講演の中で、先生は、

「私が確信したことは、『その時代に、もてはやされるものは、実は、それほど大事なものではない』ということでした。みんながもてはやすもの、その時代に一番いいと思われているものは、多くのものを見捨てて成り立っています。だけど、人間の本当の幸せとか、本当の価値、本当の喜びというものは、その時代が見捨てているものの中に、息づいていると思うようになったのです。」

「私が言いたいのは、日常のささやかな事柄が、実は、人間の生き方に大きく影響するのだということです。私は今も、川之石高校で学んだこと、身に付けたことを誇りに思い、自分の考え方の基本にしているのです。私にとって、高校時代を思い出すことは、自分の生き方を振り返る原点になっています。」と述べられています。

卒業生の皆さん。皆さんは、これから、新しい世界で、新しい価値観や考え方に出会うことになるでしょう。その時には、新しいものを無批判に受け入れるのではなく、ここ川之石で、家族や友人たちと共に育んできた価値観や考え方と、対比してみるよう心掛けてください。これまで育み、身に付けたものを、自分の中心にしっかりと持ち、その上で、新しいものを一つ一つ吟味し、自分の周辺に配置していくことで、皆さんの人間としての幅、包容力が、大きく広がっていくものと期待しています。

最後になりましたが、保護者の皆様におかれましては、本校の教育活動を温かく見守っていただき、多大なる御支援と御協力を賜りましたことに、心から感謝いたしますとともに、大切に育ててこられたお子様が、本日、卒業の日を迎えられましたことに、改めてお喜びを申し上げます。

卒業生の皆さんは、保護者の方や、お世話になった方々に、感謝の気持ちを伝えてください。「ありがとう」と言葉にして伝えることの大切さは、これからも変わることはありません。感謝の気持ちを胸に、新しい世界に飛躍していく皆さんの、御健康と御活躍を心から願い、式辞といたします。

令和七年三月一日 愛媛県立川之石高等学校長 矢野重禎

同窓会入会式

2025年3月4日 11時34分
校長室より

同窓会入会式の挨拶として、次のようなお話をさせていただきました。

おはようございます。同窓会役員の皆様の御臨席を賜る中、ただいま、川上 同窓会長様より、本校同窓会への入会を認められた81名の皆さん、入会おめでとうございます。

ただ今、会長様の御挨拶にもありましたとおり、本校は、今年度、創立110周年を迎えた伝統校であり、伊方農業学校、川之石高等女学校以来の卒業生は、1万7000名以上、昭和23年に川之石高校となって以降でも、1万4000名以上に上ります。コロナにより一時期中断していた同窓会も、コロナが5類に移行したということで、昨年度から再開され、今年度も、関西支部、関東支部、そして松山支部で開催された同窓会に、それぞれ多くの方々が出席されました。私も出席し、交流させていただきましたが、県外、県内において、本校の先輩方は、経済界や文化・芸術界で、大いに活躍されています。

本日、こうした先輩方の大きな輪の中に、皆さんも加わることになりました。同窓会の活動を通して、先輩方の経験や知恵を学び、同期生との絆を深め、後輩達を励ますことは、皆さんの人生を、より豊かにしてくれることと思います。本日の入会式を機に、ぜひ同窓会の活動に積極的に参加してください。

最後に、同窓会の発展と皆様の御健勝と御多幸を祈念いたしまして、挨拶とさせていただきます。本日は、おめでとうございました。

たちばな66号

2025年3月4日 11時27分
校長室より

「たちばな66号」に、『母校に誇りを -ここ川之石にある学校として-』の題で、次のような文章を掲載させていただきました。

川之石高校は、今年、創立110周年を迎えました。卒業生は1万7千名を超え、全国各地・各界で目覚ましい活躍をされていること(今回の110周年記念式典では、本校卒業生で、太陽パーツ株式会社取締役会長の城岡陽志様に、前回の100周年記念式典では、同じく本校卒業生で、俳人・国文学者の坪内稔典様に御講演をいただきました。)、また、卒業後も地元に残り、地域社会で中心的な役割を果たされている先輩方が多くいらっしゃることは、私たちにとって大きな財産です。

そのような本校ですが、令和5年3月に愛媛県県立学校振興計画が発表され、令和8年度に八幡浜市内3校が統合されることになっています。農業系列の生徒はそのまま継続して、福祉系列の生徒もしばらくの間は、現在の川之石高校のキャンパスで学ぶことになっていますので、現在の川高から生徒の姿がなくなるわけではないのですが、「川之石高校」の校名が、あと数年でなくなるというのは、やはり寂しいものだと感じています。

その「川之石高校」という校名についてですが、私自身が校長となって初めて聞いた話として、「愛媛県で、郡市町でない、地区の名称が校名となっている唯一の高校である」というものがありました。調べてみると、川之石高校は、昭和23年に、「伊方農業学校」と「川之石高等女学校」を母体として設立されましたが、この時、川之石は、西宇和郡川之石町という独立した町であったようです。とすると、町名が校名となっていますので、特別な校名ではなかったということになりますが、その後、昭和30年に、川之石町・磯津村・宮内村・喜須来村が合併し保内町となった際、校名の変更が検討されたとの記録も見つけました。保護者等の意見は、「川之石」高校が多数で(「保内」高校、「橘」高校、「青石」高校が少数)、川之石の校名が継続されることになり、町名でなく地区名が校名となっている県下唯一の高校、ということになったようです。本校の校名である「川之石」が、地域の方々に愛された名前であることを示したエピソードと言えそうです。

そういう私も、ここ「川之石」には、とても親しみと愛着を感じています。私は、地歴・公民科の教員ですので、校長として赴任する前から、川之石の街を巡検するなどして知っていましたし、自分の子供が小さい頃には、もっきんろーどや金刀比羅神社を家族で散歩したこともあります。ですが、やはり特に好きになったのは、校長になってからでしょう。私は、時間があるときに、校舎近くの山にある和田4号園辺りまで歩いてみたりするのですが、その途中の山腹から見下ろす川之石の風景は、とても素晴らしいものです。

まず、海を見ると、きれいな深い湾が広がっています。湾の沖の方向に目をやると、湾の出口は半島で囲まれ狭まっており、台風などの波や風に強い港だなと感じます。地図を見ても分かりますが、八幡浜港は、ラッパのように沖に向かって広がっていて、波風には弱そうです。港としては川之石港の方が優れており、かつて川之石が海運で発展し、伊予の大阪と呼ばれていたというのも頷けます。今から120年ほど前の明治時代には、川之石村で約500艘の船を所有し、毎日10艘から20艘の船が、関西や九州との交易のために出入港していたとの記録がありますので、何百艘もの船が、この湾に浮かんでいたという、その壮観を想像しながら、「もし長浜へと通じるルートの山がもう少し低ければ、あるいは鉄道が川之石を通っていれば、南予の中心は川之石だったのではないかな」、「実際、紡績会社も電灯も四国初、国立銀行は愛媛初だったのだからな」、「すると川之石高校も、今とは違った学校になっていたかもしれないな」、などと思いを巡らせています。

次に、山を見ると、この季節(12月の上旬にこの原稿を書いています。)、多くのみかんが鈴なりになっています。「うまいわ にしうわ」という西宇和みかんのCMを見たことがあると思いますが、愛媛県の西南に位置する西宇和地域(八幡浜市・伊方町・西予市三瓶町の2市1町)は、100年以上の歴史を持ち、県内一の生産量を誇るみかんの産地であり、その中でも、八幡浜市は、数々の有名ブランドみかんの産地として知られています。川之石の風景を見ても分かりますが、この地域はリアス海岸が続き、陸地も起伏のある傾斜地で平地が少ないことから、農耕には不向きな土地でした。しかし、気候は温暖で日照量が多く、水はけもよいため、みかん栽培には最適でした。そこで西宇和の人々は、山を耕し、石を積み上げて段々畑を作りました。山から見える美しい段々畑からは、川之石のみかん農家の想いを感じることができます。みなさんも、県外の人と話すことがあれば、愛媛のみかんの中でも、外皮が薄く、また果肉を包む膜はさらに薄く、濃厚な甘さと酸味を持つ西宇和みかんを、自慢し紹介できるようになってください。みかんの段ボールに、西宇和の頭文字である「N」の字をかたどったNマークを探し、見つけた際には、空・海・石垣から照らす「三つの太陽」の話を付け加えながら紹介できるようになれば、なおよいと思います。

最後に、風景として見えるものをあげると、海に向かって山と山の間に挟まれたように広がる平地と、そこを流れる喜木川と宮内川という二つの川があります。この平地ですが、川之石は昔から埋め立てが盛んで、その埋め立てには、明治から大正にかけて、川之石の主要産業であった、銅山の廃石も使われました。保内中に向かう道で、喜木川に架かる橋から下をのぞくと、澄んだ水の川床にはきれいな石が並んでいて、これも埋め立ての名残なのかな、などと考えたりします。別子銅山に次ぎ四国第2位の産出量を誇った銅山も、川之石を語る上で欠かせないものだと思います。

また、もう一つの川である宮内川の右岸には、伊予の青石を石材とした矢羽根積の護岸が見られます。青石が織りなす綾が美しい護岸は、選奨土木遺産の認定を受けていて、左岸のもっきんろーどから眺めることができます。青石は、段々畑や、神社やお寺の石積みに使われていますが、その石積みは、現在では再現できない技術を用いて作られていると言われています。皆さんは、子供の頃からこの青石を見慣れているかもしれませんが、このような石や石積みは、ここより南では見ることができない、貴重な風景なのです。

以上、私は、皆さんに、「川之石」のことをしっかり知っていただき、将来、故郷を離れることがあっても、川之石のことを、誇りを持って紹介できるようになってほしいと思っています。そのため、昨年の「たちばな65号」でも、ここ川之石の、経済・産業、人物・精神面の素晴らしさについて書かせていただきました。そして今年、この「たちばな66号」では、主に地理的な素晴らしさについて書いてみました。

地歴・公民科の教員ですので、内容の好みに偏りがあると思いますが、昨年のたちばなと併せて読んでいただくと、より川之石の素晴らしさを知っていただくことができると思います。これ以外にも、養蚕や龍潭寺など、川之石で触れたいものはまだあるのですが、また機会があれば、書かせていただこうと思います。

図書館報

2025年3月4日 11時21分
校長室より

図書館報に、「文字は超える」の題で、次のような文章を掲載させていただきました。

先日、NHKで放送中のアニメ「チ。 -地球の運動について-」を観ていると、印象的なシーンがありました。舞台は15世紀のヨーロッパ、学ぶ機会がなく、文字を読むことができない登場人物が、

「文字が読めるって、どういう感じなんですか?」

と問い、そう問われた、文字を読むことができまた優秀な能力を持っているのですが、女性であるがゆえに学問の道を閉ざされてしまっている登場人物が、

「本当に文字は凄いんです。アレが使えると時間と場所を超越できる。200年前の情報に涙が流れることも、2000年前の噂話で笑うこともある。そんなの信じられますか?私たちの人生はどうしようもなくこの時代に閉じ込められてる。だけど、文字を読む時だけは、かつていた偉人たちが私に向かって口を開いてくれる。その一瞬この世界から抜け出せる。文字になった思考はこの世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある。そんなの…まるで、奇跡じゃないですか。」

そう答える、というシーンです。

「文字は時間も場所も超越する。」と、そこまで大げさなことではなくても、本は、それが何十年も前に買ったものであっても、手元に残しておけば、いつでも何度でも読むことができます。たとえその作者が亡くなっていたとしても、その本を開くと、その作者に出会えたような気持ちになれますので、読者としては、その作者が生きていても亡くなっていても、あまり関係ないのかもしれないなとも思います。一つ残念なのは、新しい本が出ないということでしょうか。ですので、古本屋さんなどで、その作者の、読んだことがなさそうな本を見つけるとパラパラめくって、「読んだ気もするし、持ってるかもしれない。でも持ってなかったら、今を逃したらもう買えないかもしれない。」などと悩んだ末に買い、家に帰って本棚を見ると同じ本が並んでいる、という失敗を何度も繰り返しています。先日も(というか、これを書いている日からすると昨日)、松山の古本屋さんで、ナンシー関さんの本を見つけ買ったのですが、案の定、家には同じ本がありました。

ナンシー関さんは、もう20年以上前に亡くなっているので、知らない人の方が多いと思います。Wikipediaによると、「世界初の消しゴム版画家、コラムニスト。独特の観察眼による『テレビ批評』と、その挿絵に入れた著名人の似顔絵『消しゴム版画』で、社会そのものを批評していた。」と紹介されています。人や社会を批評する視点と文章は頭抜けていて、今でも、「この人、この出来事を、ナンシーさんならどのように批評するかな、ナンシーさんの意見を聞いてみたいな」と思うことが、年に何度かあります。

そのナンシーさんの言葉で、ふと、何かの拍子に思い出すものに、

「いくらおでんの中で玉子が好きで、どのタネも70円均一であっても、セブン・イレブンで玉子ばかり7個も8個も買うというのは節操がない。自分のカネで勝手だろうが、という根性が無節操なのだ。私も玉子は好きだ。でもおでん一皿に玉子は1個。何に気兼ねしているということではない。外してはいけない心のタガ、それが節操。」

というものがあります。今回、この言葉をネットで検索すると、ナンシーさんの言葉の中で心に残っているものとして挙げている人がかなりいて、少しうれしくなりました。

ナンシーさんが亡くなってから書かれた評伝に、『心に一人のナンシーを』というものがありますが、この言葉の通り、ナンシーさんは、今も読者の心の中にいて、その人たちの考え方や行動に目を光らせ、またその人たちは、ナンシーさんに批評されても大丈夫かどうかということを一つの基準として、考え行動しているのだと思います。

先行きが不透明でこれまでの価値観が大きく変化し、よくもわるくも「自分」の考え方や行動の自由度が増している今だからこそ、心の中に自分を律する何かを住まわせることが必要なのではないでしょうか。その何かに、時代や場所を超えて出会うことができる、それが文字であり読書なのだと思っています。