校長室より
第1学期終業式の式辞として、次のような話をさせていただきました。
改めまして、おはようございます。今日は7月18日、第1学期の終業式です。そして、明後日の7月20日には、参議院議員総選挙が行われます。選挙権は、18歳の誕生日を、選挙日の翌日までに迎える人が有する、とされていますので、7月21日までに誕生日を迎える本校生、15名が、国政選挙で、初めての投票をすることになります。
ところで、選挙があると、そのたびに、「大事な選挙です。必ず投票に行きましょう」というようなCMが流れるので、権利であるはずの投票を、まるで義務であるかのように感じている人がいるかもしれません。また、これとは少し違いますが、義務教育、という言葉についても、誤解している人がいるということを、聞いたことがあります。義務教育の義務は、保護者が、子供に、教育を受けさせる義務です。子供が、持っているのは、教育を受ける権利です。
選挙権も教育を受ける権利も、自分が自分らしく生き、自分の夢を、誰にも邪魔されることなく実現するために、なくてはならない権利です。どちらの権利も、多くの先人たちが、市民革命など、長い歴史の中で、命を懸けて勝ち取ってきた、大切な権利である、ということを、この参議院議員選挙を機会に、もう一度、考えてほしいと思います。
ところで、皆さんは、時効という言葉は知っていますか?よく、知られているのは刑事時効と民事時効で、刑事時効は、犯罪が起きてから一定期間が経過すると、その犯罪を追及できなくなることを言い、民事時効は、貸したお金や物の請求が、できなくなることを言います。皆さんも、昔の恥ずかしい話や、友達への借りについて、「もう時効」などと使ったことがあるかもしれません。
では、なぜ、時効というものがあるのでしょうか。いろいろな説明がありますが、その一つに、「権利を大切にせず、放っておくような者は、保護しない」、という考え方があります。権利があることを当たり前と思い、それを守るための努力を怠れば、その権利は失われても仕方がない、 というのが、法律の考え方なのです。選挙権や教育を受ける権利についていうと、例えば、投票所や学校の数・場所が変わると、そこに行くための時間や費用も変わります。そのことに無関心でいると、投票や勉強が、しにくくなってしまうかもしれません。
そしてこの、今、あるものを当たり前と思い、それを守ることを怠ると、それを失っても仕方がないという考え方は、権利に限らず、人との関係などについても言えるのではないでしょうか。友人や保護者、先生といった、皆さんのことを、大切に思ってくれている人の存在を、当たり前に思い、その関係を守る努力をしなければ、その大切な関係は、失われてしまうかもしれません。
今回の参議院選挙を、自分の周りにある大切なものに気付き、それを守る努力を始める、きっかけとしてもらえるようお願いし、終業式の式辞とします。
校長室より
進路の手引きの「巻頭言」に、進路指導について、次のような文章を掲載させていただきました。
私が、これまでの教員生活の中で、教科指導と同じくらい力を入れたと思っているのが進路指導です。20代の頃には、HR担任として、ベテランの教員に教えていただきながら、若い教員同士で話し合い、時には競い合うように、クラス生徒の進路指導に取り組みました。30代半ばに校内の進路(進学)の責任者を任された際には、それまでに学んできた進路指導のノウハウを、HR担任や教科担任と共有し、学校全体としての進路指導体制や教員の意識の改革を図ろうと努力しました。
HR担任として自クラスの、そして進路責任者として学校全体の、進路指導の充実に取り組んだ経験から感じているのは、進路指導には、その生徒一人一人に関わる教員の協力が不可欠であり、一人の生徒のために関係教員が総力をあげて取り組まなければ、生徒の高い進路目標の達成を支援することは難しいということです。
また、それと同時に感じていることとして、そのような支援を受けて目標を達成する生徒は、周囲の教員に、この生徒のために自分ができることは全てやってやろう、と思わせるような、明確な進路目標、目標達成への強い意志、そして支援してくれる周囲への感謝の気持ち、などを持っていたということです。
生徒の皆さんも、これから、勉強や部活動をがんばり、進路実現に必要な力を身に付けていくことと思いますが、一人でできることには限りがあります。保護者の方や先生方から支援していただきながら、そしてそのためには支援を得られるような真摯な姿勢で、目標達成のため努力を重ねてほしいと思います。
以下、進路について私が思うことを書いてみます。箇条書きにするので、気になる部分だけでも読んでいただければと思います。私が川之石高校の校長となり、この進路の手引きの「巻頭言」を書くのも、もう3回目となりましたので、昨年、一昨年と重なることは省いています。特に大事なことは、先に書いていますので、過去のものも読んでもらえれば幸いです。(本校HP『校長室より』に掲載されています。)
○「過去の成功体験に基づく進路指導の危うさ」
自戒を込めて書くと、この巻頭言の前半で書いた「進路指導」とは、いわゆる「出口指導」と批判的に呼ばれるものに近いかと思います。出口指導とは、入学試験や就職試験に合格させるための指導に終始することを意味します。生徒が将来の夢を実現するために希望し、教員としてもそれが適当だと判断した大学や企業に合格させるための指導を行うことは、決して悪いことだとは思いません。
しかし今、社会は大きく変わり、予測不可能な時代と呼ばれています。この大学・企業に進めば将来はこうなるだろう、と予測できていた時代から、どのような進路を選んでも、その将来は確実とは言えない時代となったのです。教員は、それまでの自分自身、あるいは過去に関わった生徒たちの成功体験に基づいて進路指導を行うことの危うさを自覚した上で、指導に臨まなくてはならないと感じています。
○「予測不可能な時代の進路指導とは、卒業後も必要とされる力を身に付けさせるもの」
これまでの日本では、多くの企業が終身雇用制を採用していました。しかし今、転職者は全世代で大きく増加しており、この5年間に、全世代平均で約2.5倍、特に50代では約5.3倍となっています。転職により賃金が増える割合も高まっており、解雇されたというような消極的な転職ではなく、よりよい労働環境、自分の能力を発揮できる職場を求めてというような積極的な転職が増えているのです。
そうなると、進路を決める力は、高校卒業時に大学・企業を選ぶときのみに必要なものではなく、生涯にわたって必要な力となってきます。つまり、高校卒業後も、自分で進路を選び実現できる力を身に付けさせることが、今の時代に求められる進路指導であると言われるようになったのです。生徒の皆さんは、卒業後も、自分で進路を調べ、選び、決定し続けられるような力を身に付けておく必要があるのだということを意識しながら、進路指導に関するHR活動や行事に参加してほしいと思います。
○「努力の成果は階段状に現れる」
生徒の皆さんは、これから、進路実現につながる勉強や部活動に取り組んでいくことと思いますが、その成果は、努力と比例しては現れません。成果は、階段状に現れます。努力しても努力しても成果が現れない時期を我慢し粘り強く努力を続ければ、ポンッと成果が現れます。そしてそのように成果が上がれば、高い山に登ったのと一緒で、見える風景(目指せる進路目標)が変わってきます。まずは山に登ってみましょう。
『校長室より』の中の『R6進路の手引き』、「決まれば対策を講じることができる、けど、決まっていなくても大丈夫」に続きます。読んでみてください。
校長室より
PTAだより第58号「ひまらや杉」に、「『ポンペイ』と『論破』」と題して、次のような文章を掲載させていただきました。
先日、世界遺産の『ポンペイ』を紹介するテレビ番組を見ていて、感心したことがありました。ポンペイは古代ローマの都市で、今から約2000年前に近くの火山が噴火し、火山灰の下に埋もれ滅びてしまいました。18世紀に発掘が始まると、火山灰が劣化を防いだことにより、当時のままの街並みや壁画、美術品などが姿を現わしました。逃げ遅れた人々が埋まった跡に石膏を流し込み再現した人々の姿は、皆さんも見たことがあると思います。
私が、感心したのはここからで、ポンペイ遺跡は、現在までに、全体の約7割が発掘されていますが、残りの3割は意図的に発掘せず、埋もれたままにしているそうです。これは、「将来、技術や知識が進歩した時代に発掘した方が、より詳細な調査ができ、よりよい状態で保存できるようになるだろう」という、未来の進歩を信じた方針であるとのことでした。
「自分の技術や知識は完全ではない」「自分が信じている理論が正しいとは限らない」という自覚や戒めを研究者が有し、それが全体の方針とされていることに、驚き、大袈裟ですが、人間というものの英知を感じました。
私が、特にそのように感じたのは、今、世界で、自分や自分の意見を絶対的に正しいものとし、立場や意見の異なる相手を徹底的に攻撃し否定するという風潮が広がっていると感じているからです。日本でも、短い言葉で相手を言い負かすことを、勝ちでありかっこいいとする傾向がSNS等を中心に見られ、このことを象徴する『論破』のブームは、子供たちの世界にも広がっています。「はい、論破」とともに使われる「それってあなたの感想ですよね」という言葉は、「小学生流行語ランキング」で2022年に1位、23年にも4位に入っているとのことです。
自分の意見を持ち、それを正しいと自信を持って主張すること、そしてその技術は、とても大切なことだと思います。ただ、立場や意見の異なる相手を否定し、自分が正しいと認めさせたとして、その先に何かが生まれるとは思えません。自説の正しさを認めさせ自説を全く変えなかったとすれば、そこには何の進歩もないからです。
今の私たちに必要なのは、「論破」ではなく「議論」ではないでしょうか。物事を〇か×か、100か0かで単純化せず、個別の複雑な事情を寛容に受け止め、立場や意見の異なる相手の意見を忍耐強く聞いた上で自分の意見を述べていく、そして自分の意見を絶対的に正しいものとせず、よりよいものへと昇華させていく。議論には時間も手間もかかりますが、これを避けてしまうと、社会の分断が進み、進歩の機会も失われてしまいます。
『論破』はあくまでゲームにとどめ、皆が『ポンペイ』の謙虚さを持ち議論すること、このことが、今の社会で求められているように感じています。
校長室より
農業クラブの各種発表校内大会が開催され、成人代表として、次のような挨拶をさせていただきました。
皆さん、こんにちは。私は、日頃の皆さんの、農業に関する、各種の大会やコンクールなどでの活躍を、先生方からの報告や、新聞やテレビの報道から知ることができていますが、実際に、この目で、見られる機会は、あまり、ありません。そのような中、本日は、皆さんの日頃の取組や思いを、直接、見聞きすることができるということで、大変、楽しみにしています。
ところで、私は宇和町に住んでいるのですが、今年は、米の価格が高騰していることもあってか、昔、田んぼで、最近は畑になっていたところに、久しぶりに水が張られ、田植えが行われています。朝日や夕日を反射し、一面が 輝く風景は、懐かしく、とてもきれいです。田んぼは、米を作るという役割だけでなく、水をためるダムの役割、土壌の流出、塩害を防ぐ役割、などを果たしているというのは、よく言われることです。
そして今回、皆さんに、挨拶をすることになったので、田んぼは、温度上昇も抑えてくれているのではないかな、確認してみよう、と思い、ネットで調べてみたのですが、全然知らなかった事実が書かれていて、驚きました。田んぼからは、温暖化の原因となるメタンガスが発生しており、大きな問題となっている、とのことでした。
農業は、人類の、持続可能な社会に欠かせない産業ですが、その実現に向け、解決し乗り越えていかなければならない課題が、まだまだ残されているのだな、と改めて感じました。今日の皆さんの発表は、そのような課題に直結するものではないかもしれませんが、農業に対して関心を持ち、自分の身近なところの課題に気付いて、その解決に取り組もうとする意欲を持ち続けることは、とても大切なことだと思います。
そのような皆さんの姿勢が、今後の農業の課題の解決と、さらなる発展につながることを期待しています。自信をもって堂々と発表してください。最後になりましたが、この発表大会に向けて、準備をしてくれた生徒の皆さんや先生方に感謝の意を表して、挨拶とさせていただきます。
校長室より
農業クラブ総会が開催され、成人代表として次のような挨拶をさせていただきました。
皆さん、こんにちは。私は、川之石高校に来るまで、農業科や系列のある高校に勤めたことがなかったので、川高に来てから、野菜やその苗、花やマーマレード等を購入し、とても楽しませてもらっています。
先日も、サイネリアを10鉢、野菜苗を30本、清美と日向夏を合わせ50キロ(くらいだったと思うのですが)買って、自宅で楽しむことはもちろん、親や親戚、知人にも配りました。川高の農産物を、きれい、とか、おいしい、とか褒められ、喜ばれると、とても誇らしい気持ちになります。
人を、このような気持ちにさせることができる農業は、素晴らしい産業だな、と、改めて実感していますし、それを学んでいる皆さんは、とても、いい選択をしているな、と、感じています。
そして、皆さんのように、農業を学ぶ生徒による、「自主的・自発的」な組織として、今から70年以上前に誕生したのが、この農業クラブです。皆さんと同じ若い世代の高校生が、未来の農業の発展のため、興味を持って農業を学び、未来の農業を担う人材となることを目指して、全国で活動しています。
本日はこの後、今年の取組などが、話し合われると聞いています。皆さんも、自分ができることを、「自主的・自発的」に見つけ、積極的に、活動してほしいとお願いし、挨拶とします。
校長室より
令和7年度入学式の式辞として、次のようなお話をさせていただきました。
やわらかな春の日差しを受け、美しい花々が咲きほこる今日のよき日に、多くの御来賓の皆様の御臨席を賜り、令和7年度 愛媛県立川之石高等学校第78回入学式を挙行できますことは、本校教職員一同の大きな喜びであります。厚くお礼を申し上げます。
ただ今、入学を許可いたしました69名の新入生の皆さん、そして保護者の皆様、本日は、まことに、おめでとうございます。在校生、教職員を代表いたしまして、お祝いを申し上げますとともに、心から歓迎いたします。
本校は、「地域に貢献する人材育成を」という熱い思いで設立された「伊方農業学校」と、「広く一般家庭の女子にも教育を」という声に応え設立された「川之石高等女学校」を母体とし、今年で、創立111年目を迎える、歴史と伝統のある学校です。
そして、来年の令和8年度には、八幡浜高校、八幡浜工業高校と統合し、新たな体制の下で、今後も、地域に必要とされ、地域とともに在り続ける学校を目指すこととしています。
川之石高校として、全ての年次が揃うことになる今年、令和7年度において、新入生の皆さんには、これからの高校生活の中で、2・3年次生と、ともに過ごす時間を大切にし、1万7千名を超える川高の先輩たちが、100年以上に渡り、この川高で紡いできた歴史と伝統を受け継ぎ、川高生としての誇りを、育んでほしいと願っています。
そこで、皆さんの、高校生活の始まりに当たり、本校の校訓についてお話をします。
校訓の一つ目は、「自学」です。自分から学び、判断し、行動する、ということです。将来の目標を明確にし、その実現に向け、自ら勉学に取り組んでください。成果が現れず、不安になることもあるかもしれませんが、そのような時にも努力を続ける、強い精神力を身に付けられるよう期待しています。
二つ目は、「誠実」です。真心を持って、人や物事に接する、ということです。自分を大切にする、と同時に、友人や家族、地域の方々を大切にし、その気持ちを、日々のあいさつや礼儀といった行動で示していくことで、皆さん自身も、周囲から信頼され、大切にしてもらえるようになるのではないでしょうか。
三つめは、「審美」です。本当の美しさとは何か、見極めることです。美しさは、いろいろな事物の中に存在します。自然、文化、スポーツといった、多くの分野に関心を持ち、追究することで、様々な角度からの、多様な、見方・考え方が育ちます。人として、「美しくある」とはどのようなことなのか、探し求めましょう。
最後になりましたが、保護者の皆様に申し上げます。お子様は、これから一歩一歩、自立への道を歩むことになります。他人を思いやる優しさと、予測困難な社会を生き抜く力強さを、兼ね備えた若者へと成長することは、御家庭と学校の共通の願いです。私たち教職員一同は、本日からお子様をお預かりし、御家庭と協力しながら、精一杯、その歩みを支えてまいります。
ここにあらためて、本校の教育活動に対する御理解と御支援を、お願い申し上げ、式辞といたします。
校長室より
令和7年度、第1学期始業式の式辞として、次のようなお話をさせていただきました。
改めまして、皆さん、おはようございます。今日から、新しい年度、令和7年度がスタートします。
先日の終業式から、まだ二十日。離任式からでは、まだ十日ほどしか経っていませんが、あの時に2年次生であった皆さんは、学校のリーダーとして、下級生を導く3年次生に。1年次生であった皆さんは、学校の中核として活躍する2年次生になりました。
そして、明日には、新しい1年次生が入学してきます。
先日の終業式では、皆さんに、「挨拶」や「清掃」、といった、川高生の素晴らしい伝統を、新入生に伝えていってほしい、とお願いしました。新入生は、先輩である、皆さんの姿を、しっかりと見ています。言葉ではなく、皆さん自身の行動で、新入生を、川高生へと成長させてください。
川之石高校は、令和8年度に、八高、工業と統合し、新しい学校となりますが、この川高で学んだ生徒は、卒業し、どの学校に進んでも、どの企業に就職しても、そして卒業後、何十年たっても、川高生は、ずっと川高生です。
私は、毎年、東京や大阪、松山、そして八幡浜で開催されている同窓会に出席していますが、 同じ時間を川高で過ごし、同じ体験や感動を共有した川高の先輩方が、強い絆で結ばれ、また、川高を愛している姿を見て、とてもうらやましく、また、ありがたく感じています。
この令和7年度は、3つの年次が揃う、最後の年度となります。川高生という、強い絆で結ばれた3つの年次が一つになって、川高を、元気に盛り上げていきましょう。
そして、全体が元気であるためには、皆さん一人一人が元気でなくてはなりません。今年度、3年次生の皆さんは、進路実現の年次として、2年次生の皆さんは、その準備の年次として、大切な年を迎えます。目標とする進路を、簡単に決めたり、あるいは、簡単にあきらめたりせず、先生方ともよく相談しながら、その実現のために、元気に、全力で、取り組んでほしいと思います。
新しい1年次生を仲間に加え、川高生全員が、それぞれの目標の実現に向け、励ましあい、応援しあえるような仲間として、成長していくことを期待して、始業式の式辞とします。
校長室より
第3学期の終業式の式辞として、次のようなお話をさせていただきました。
改めまして、皆さん、おはようございます。今日は3学期の終業式です。
先週は、皆さんが1年間過ごしてきた教室や校舎にワックスがけをして、とてもきれいにしてくれました。昨日は合格発表でしたが、これで令和7年度の新入生を、気持ちよく迎えることができます。一生懸命ワックスがけの作業に取り組む皆さんの姿を見て、改めて川高生の良さを実感しています。
私は、川之石高校に、2年前に赴任してきました。最初に感心したのが、皆さんが廊下ですれ違うたびに、「こんにちは」と挨拶してくれること。次に感心したのが、皆さんが、とてもまじめに清掃に取り組んでくれることでした。
清掃で特に感心したのは、最初に迎えた定期考査、1学期中間考査の期間中の掃除の時間です。それまで勤務してきた学校では、考査中の掃除の時間というと、その日の試験科目のノートや参考書を見るのが優先で、掃除ができていない、という生徒をよく見かけました。それが、川之石高校では、そのような姿を全く見かけなかったのです。そのことを近くにいた先生に話すと、「普通じゃないですか。」と言われ、少し拍子抜けしたことを覚えています。
私は、まじめに掃除に取り組む生徒を普通と言える、この川之石高校の伝統は素晴らしいと思います。4月に入学してくる新入生は、先輩である皆さんの姿を見て学び、出身中学校の生徒から川高生へと変わっていきます。ぜひ、皆さんが先輩たちから受け継いだ川高生の良い伝統を、自分たちで途切れさせることなく、新入生に伝えてあげてください。
最後に、今回、皆さんに、このようなことをお話ししようと思う中で、思い出した哲学者がいるので紹介します。ドイツの哲学者カントは、やりたいことを、やりたいようにやることが自由ではない、と述べました。例えば、「掃除の時間にノートを見たい、だから見る」。これは、「見たい」という欲求によって、自分の行動を決められてしまっているので、自由とは言えない。「ノートは見たいけれど、今は掃除をすべきなので、掃除をする」。これは、見たいという欲求に縛られず、自分が正しいと思った行動できている。これが自由だ、というのがカントの考えです。
明日から春休みとなります。「やりたいこと」と「やるべきこと」を、しっかりと区別して、充実した春休みを過ごし、新学期には、今よりも少し成長した皆さんと会えることを期待して、式辞とします。
校長室より
球技大会の開会式で、次のようなお話をさせていただきました。
皆さん、おはようございます。3月も半ばとなって、運動に適した季節となってきました。ニュースでも、毎日のように、メジャーリーグの大谷選手のニュースが流れています。
ここ愛媛でも、いろいろなスポーツを観戦することができ、例えば今日の球技大会の種目でいうと、バスケでは、オレンジバイキングスが苦戦しながらも頑張っていますし、サッカーでは、先日の愛媛FCとFC今治の対決で盛り上がりました。テニスでも、愛媛国際オープンという中四国・九州では初、日本でも上から2番目のグレードの大会が毎年開かれています。
スポーツは、するのも見るのも楽しいものですが、それは、目標に向かって努力しそれを達成する喜び、仲間との協力や対戦相手との真剣勝負を通して育む友情や尊敬、それらを観戦することで得られる勇気や希望、などを感じることができるからではないでしょうか。
球技大会も同じです。クラスの仲間と協力し、相手クラスのチームや審判を尊敬しながら、真剣に戦い、また全力で応援することで、みんなが楽しめる素晴らしい大会になるのだと思います。
今日の球技大会は、3年次生が卒業し、1・2年次生だけで行う、最初の大きな学校行事です。
「勝より笑!何が何でも楽しもう!」、というスローガンどおりの、笑顔あふれる大会となるよう期待して、開会のあいさつとします。
校長室より
卒業式の式辞として、次のようなお話をさせていただきました。
校庭の木々の芽も膨らみ、日ごと春めく今日の佳き日に、多くの御来賓の皆様、保護者の皆様の御臨席を賜り、令和六年度 愛媛県立 川之石高等学校 第七十六回 卒業証書授与式を挙行できますことは、我々教職員一同にとりまして、大きな喜びであります。厚くお礼を申し上げます。
さて、ただ今、卒業証書を授与いたしました八十一名の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんが本校に入学した、令和四年からの3年間で、世界は大きく変わりました。ロシアのウクライナへの侵攻と戦闘の継続は、人権や国家主権、集団安全保障といった近代国際社会の秩序を揺るがせました。新型コロナの感染拡大とwithコロナの新しい生活様式は、対面による人との交流や働き方を見直す契機となりました。そしてChatGPTのサービス開始に象徴されるAIの進化は、あらゆる場面でこれまでの常識を覆そうとしています。
私たちは、このような変化に、否が応でも向き合っていかなければなりませんが、これは簡単なことではありません。時には、変化に取り残されているような不安を感じたり、変化にいち早く対応し成功している人を、うらやましく感じたりすることもあるでしょう。私自身、そう感じたことがある一人ですが、最近、一つの文章に出会いました。
御存知のように、本校は今年度、110周年を迎え、記念行事等を執り行うことができました。その過程で手に取った、70周年記念誌に掲載されていたのが、本校卒業生で俳人の、坪内稔典先生による記念講演の記録です。講演の中で、先生は、
「私が確信したことは、『その時代に、もてはやされるものは、実は、それほど大事なものではない』ということでした。みんながもてはやすもの、その時代に一番いいと思われているものは、多くのものを見捨てて成り立っています。だけど、人間の本当の幸せとか、本当の価値、本当の喜びというものは、その時代が見捨てているものの中に、息づいていると思うようになったのです。」
「私が言いたいのは、日常のささやかな事柄が、実は、人間の生き方に大きく影響するのだということです。私は今も、川之石高校で学んだこと、身に付けたことを誇りに思い、自分の考え方の基本にしているのです。私にとって、高校時代を思い出すことは、自分の生き方を振り返る原点になっています。」と述べられています。
卒業生の皆さん。皆さんは、これから、新しい世界で、新しい価値観や考え方に出会うことになるでしょう。その時には、新しいものを無批判に受け入れるのではなく、ここ川之石で、家族や友人たちと共に育んできた価値観や考え方と、対比してみるよう心掛けてください。これまで育み、身に付けたものを、自分の中心にしっかりと持ち、その上で、新しいものを一つ一つ吟味し、自分の周辺に配置していくことで、皆さんの人間としての幅、包容力が、大きく広がっていくものと期待しています。
最後になりましたが、保護者の皆様におかれましては、本校の教育活動を温かく見守っていただき、多大なる御支援と御協力を賜りましたことに、心から感謝いたしますとともに、大切に育ててこられたお子様が、本日、卒業の日を迎えられましたことに、改めてお喜びを申し上げます。
卒業生の皆さんは、保護者の方や、お世話になった方々に、感謝の気持ちを伝えてください。「ありがとう」と言葉にして伝えることの大切さは、これからも変わることはありません。感謝の気持ちを胸に、新しい世界に飛躍していく皆さんの、御健康と御活躍を心から願い、式辞といたします。
令和七年三月一日 愛媛県立川之石高等学校長 矢野重禎