3月20日(月)に第3学期終業式を行いました。式辞として、次のような話を生徒たちにしました。
これまで、皆さんにいろいろな話をしました。1学期末に発行したPTAだより「ひまらや杉」第49号で書いたように、私は式辞や学校行事でのあいさつなどの機会を、皆さんに語りかけることのできる貴重な「授業時間」だと思い、大切にしてきました。今日も一つだけ伝えておきたいことがあります。
今、全国の高校において、学校をより魅力的にする「高校の魅力化」が重要な課題の一つとなっています。本校も、皆さんが楽しく喜びにあふれた学校生活を送ることができるよう、さまざまな教育活動の充実に努めています。
ただ、魅力的な学校であるかどうかは、有意義な教育活動の多さだけで判断してはならないとも思っています。なぜなら、魅力的な学校とは魅力的な活動が多く用意されている学校である以上に、魅力的な生徒や教職員がたくさんいる学校のことだと考えているからです。
「魅力」とは、人の心をひきつけて夢中にさせる不思議な力のことを言います。ですから、魅力的な人とは、例えば、その人の言葉や行動、雰囲気などに接すると、なぜか気持ちが落ち着いたり明るくなったり、勇気づけられたり前向きになれたりするような、信頼できる人のことを言うのでしょう。私は、皆さんに、そういう人になってほしいと願っていますし、そういう人がたくさんいる川高にしたいと考えています。
そこで、そのために大事にし続けたいと思っていることがあります。まず、自分らしさや自分の考えを大切にし、それを磨いていくこと。次に、他の人への思いやりや気遣いを大切にし、それを深めていこと。そして、笑顔と素直さを忘れず、何事にも一生懸命に取り組むこと。これらを、生徒の皆さんと教職員全員が心がけることによって、ますます魅力的な川高になると信じています。その「川之石高校の魅力化」を皆さんに呼びかけ、第3学期終業式の式辞とします。
3月14日(火)に第3学期校内球技大会を実施し、サッカーとバスケットボールの競技で熱戦が繰り広げられました。開会式と閉会式で、それぞれ次のような挨拶をしました。
【開会式】
今年度最後の校内球技大会です。そして、2年次生と1年次生だけで行う初めての学校行事でもあります。4月から、それぞれ最上級生と中心の年次生となる皆さんには、身を引き締めて大会に臨んでほしいと思います。
これまで度々話をしてきたように、校訓の一つである「誠実」を胸に、「対戦相手を敬い、ルールと審判を尊重し、スポーツを楽しむ」、その「リスペクトの精神」を発揮してください。また、今後、上級生としてリスペクトの精神を下級生に伝え、川高をますます魅力的な学校にしてください。
今日も、感染症予防のための手洗いや手指消毒、マスクの着用などを適切に行い、楽しく充実した大会にしましょう。以上で、開会のあいさつとします。
【閉会式】
皆さん、楽しく充実した一日となりましたか。
1学期の大会で話したことを、改めて伝えておきます。本校では、「スポーツ大会」ではなく「球技大会」としています。今日のサッカーやバスケットボールをはじめ、球技種目は、仲間と力を合わせ一緒になって勝負を競いながら楽しさや喜びを味わうことができます。ですから、大会種目に球技を選び、体力の増進とともに、よりよい仲間づくりを目指し、球技大会を行っています。
その大会で感じたことや思ったこと、考えたこと、学んだことを、これからの授業や行事、部活動などに生かしてください。
終わりに、大会の準備や運営に協力してくれた生徒の皆さん、ありがとうございました。感謝の気持ちを伝え、閉会のあいさつとします。
令和5年3月1日に発行した川之石高校図書館報に、「日常を生きる」と題した文章を掲載しました。
2023年元旦に、ある新聞記事を切り抜いた。ベラルーシのノーベル賞作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんへのインタビューを特集したものだ。
アレクシエービッチさんは、ウクライナ人の母とベラルーシ人の父のもとで生まれた。現在はドイツで事実上の亡命生活を送りながら、ロシア語で執筆活動を続けている。「本当にロシアが大好き」な彼女は、ベラルーシの協力を得たロシアによるウクライナ侵攻を知った時に「涙がこぼれた」という。そして、この侵攻を、ロシア軍が占領した街で残虐な行為が繰り返された状況を踏まえ、「人間から獣がはい出しています」と表現している。ただ、ロシアを憎むウクライナ人がロシア文化までも排斥することには、その背景はよく理解できるものの賛同はしないとも語っている。その上で、作家として「『本当に、言葉には意味があるのだろうか』と絶望する瞬間があります。それでも私たちの使命は変わりません」、「私たちは『人の中にできるだけ人の部分があるようにするため』に働くのです」と話している。
記事の終わり部分に、「憎しみという狂気」があふれている世界で生きる私たちは、「文化や芸術の中に、人間性を失わないためのよりどころを探さなくてはなりません」、というアレクシエービッチさんの言葉が載せられている。それから、人はどうすれば絶望から救われるのか、という記者の問いに対して、彼女は次のように答えている。「近しい人を亡くした人、絶望の淵に立っている人のよりどころとなるのは、まさに日常そのものだけなのです。例えば、孫の頭をなでること。朝のコーヒーの一杯でもよいでしょう。そんな、何か人間らしいことによって、人は救われるのです。」
アレクシエービッチさんは、人の中にある「人の部分」、すなわち人間性を信じ、人間を愛している。だからこそ、暴行や拷問、殺害に至ってしまう残虐性や、敵国の文化までも否定する憎しみの感情に支配されない人間を、文学は育み得ると考えるのだ。作家である彼女のよりどころとなる日常とは、社会や時代の犠牲となった「小さき人々」の声につぶさに耳を傾け、それを言葉にしていくことなのだろう。
日本の詩人・石原吉郎も、社会の片隅でひっそりと営まれる名もないありふれた生活がいかにかけがえのないものであるかを書いた一人である。石原は第二次世界大戦に従軍し、1945年に現在の中国・ハルビン市でソ連軍に「戦犯」として抑留され、冬は零下50度を下回ることもある極寒のシベリアへ送られ、重労働25年の最高刑を受けたが、1953年に特赦によって帰国した経歴をもつ。その彼の詩に、「世界がほろびる日に」という作品がある。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ
8年間もの苛酷な状況下で精神的危機と肉体的な苦痛の中を生きた石原にとって、世界がほろびる瞬間まで守るものは普段通りの生活であった。彼もまた、アレクシエービッチさんと同様に、ありふれた日常だけが人を救い人間性を失わないよりどころとなる、と確信していたように思える。
読書によって、自分を支えている見方や考え方は深まる。大事なことだと感じ取ってはいても、それを自分の中でうまく表現できないでいることは多い。そのようなときに、自分が感じていることを言い表すような言葉や文章に出会うと、幸せな気持ちになる。少しだけ自信が増し、人に優しくなれるような気がする。
生きることに喜びと感謝をもち、小さなことやさりげないことを大切にする。これを自分のよりどころとして日常を生きていきたい。
令和5年3月1日(水)、本校体育館で、ご来賓と保護者の方々のご臨席のもと第74回卒業証書授与式を挙行し、式辞にて卒業生の皆さんに次のような話をいたしました。
校庭の木々の芽も膨らみ、暖かい春の訪れが感じられる今日の佳き日に、御来賓のPTA会長・篠澤隆之様並びに保護者の皆様方の御臨席を賜り、令和四年度 愛媛県立川之石高等学校 第74回卒業証書授与式を挙行できますことは、我々教職員一同にとりまして大きな喜びであります。厚くお礼を申し上げます。
ただ今、卒業証書を授与いたしました91名の皆さん、卒業おめでとうございます。拍手を送りお祝いを申し上げます。また、保護者の皆様には、お子様の御卒業まことにおめでとうございます。大切に慈しみ育ててこられたお子様がこのように立派に成長され、本日ここに卒業の日を迎えられましたこと感慨もひとしおのことと拝察いたします。心からお喜びを申し上げます。
さて、卒業生の皆さんは在学中の3年間、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、授業や学校行事、部活動などの教育活動において様々な制約を余儀なくされました。皆さんの安全・安心のためとはいえ、我慢を強いられる中で戸惑いや不安、落胆や不満、心残りや寂しさを感じた人も多かったでしょう。高校時代が生徒にとって、社会人となる前の貴重な時間であることを知る私たち教職員にとっても、焦り、悩み、試行錯誤しながら皆さんと共に歩んだ三年間でした。
そのような中にあっても皆さんは、困難な状況を受け止め、自らすべきことやできることに真面目に向き合い、やりがいや楽しみを積極的に見いだしながら一生懸命に取り組まれました。私は、その姿を見るたびに感心し頼もしく思ってきました。誰も経験したことのない「コロナ禍」を乗り越えてこられた皆さんです。これからも自信をもって前へ進んでください。
そこで、皆さんに一つだけお願いがあります。私たちの身の回りの衣服や食品、日用品など、ほとんどすべての物は誰かによって作られたり運ばれたりしたものです。また、私たちは学校や職場、地域において、互いに支えたり支えられたりしながら活動しています。つまり、私たちは助け合って生きています。人間のこの基本的で厳粛な在り方を忘れず、感謝の気持ちと「ありがとう」の言葉を大事にして欲しいのです。どのようなことでも助けてもらったときに、「ありがとうございます」と自然に口にする人は素敵ですし幸せです。なぜなら、その人自身が優しい人であり周囲の優しさに気付くこともできる人だと思うからです。
終わりになりましたが、保護者の皆様方には長い間、本校を温かく見守ってくださり、多大なる御支援と御協力を賜りましたこと、深く感謝を申し上げます。
卒業生の皆さん。仏教の天台宗の開祖である最澄の教えの中に、「一隅を照らす」というものがあります。「一隅」とは自分のいる場所、自分が置かれた場所のことをいいます。ですから、自分の居場所で自らが光り輝くことによってその場を明るくすること、これが「一隅を照らす」という言葉の意味です。最澄は、国の宝とはお金や財宝ではなく、一隅を照らすことやそのような人こそが貴い宝と説いています。
皆さんがこれから、それぞれの場所でそれぞれの役割を精一杯果たしながら自分らしい人生を歩まれることを願い、皆さんの御多幸と御活躍をお祈りし式辞といたします。
令和5年3月1日
愛媛県立川之石高等学校長 佐々木 進
2月2日(木)、校内オンラインにて第25回総合発表会を開催しました。開会式と終わりの講評において、それぞれ次のようなことを生徒に話しました。
【開会式】
南予で唯一、総合学科を設置する本校では、皆さんの主体性を尊重して個性を伸ばし、幅広い進路選択に対応できるよう、自由度の高い科目選択をはじめ様々な取組を行っています。その中でも大切な取組の一つは、「総合的な探究の時間の充実」です。1年次生の「産業社会と人間」、2年次生の「総合探究Ⅰ」、3年次生の「総合探究Ⅱ」、それらの授業で皆さんは自分の将来像を描き、課題を見つけ、研究を行います。そして、その成果をみんなで共有する学習の場が、この総合発表会です。
今年度も、新型コロナウイルス感染症対策のため、一つの会場で保護者の方や地域の方々をお招きして開催することを残念ながら見送りましたが、代表となった生徒の皆さんには、自分の研究に自信をもち、堂々と発表してもらいたいと思います。それを大いに期待するとともに楽しみにしています。
視聴する生徒の皆さんには、発表内容はもちろんのこと、発表者の研究に取り組んだ気持ちや姿勢からも、多くのことを学んでほしいと思います。そして、この発表会が皆さんにとって、自分の研究を広げたり深めたりするきっかけや手助けとなれば本当にうれしく思います。
終わりに、会の運営や進行に協力してくれている生徒の皆さんに心からお礼を述べ、開会のあいさつとします。
【講評】
総合探究Ⅱの研究発表をしてくれた11名の皆さん、ありがとうございました。皆さんの研究を、どれも興味深く聴かせてもらいました。講評に当たり、発表された研究からすばらしいと感じたことについて話をします。1・2年次生の皆さんにも、ぜひ参考にしてもらいたいと思います。
まず、どの発表も研究の動機やテーマ設定の理由がはっきりと示されていて、研究のねらいや目的がよくわかるものでした。それは、自分が強く関心を持ち、卒業後も勉強したいと思っていることや、将来の職業に関わったりすることを研究テーマにしているからでしょう。だからこそ、自分が興味をもっていることを多くの人と共有したいという気持ちや、卒業後も自分の仕事に役立てたいという願いが強く感じられて、研究内容が充実したものになったのだと思います。
次に、「自分のためであり、誰かのためでもある」、そのことに心を向けてなされた研究がいくつもありました。人のために何かをするときには、その人の興味・関心や課題、希望などを把握することが大切になります。調べ学習のほかに行う、話を聞いたり一緒に考えたりする活動が、研究の内容をより深く説得力のあるものにするのです。しかも、研究者自身もそのような活動から、いろいろなことを学ぶことができます。
そして、すばらしい研究のもう一つの特徴は、その研究をとおして新たな興味・関心や課題が生まれ、次の研究テーマにつながるような成果が得られているということです。今日の発表の中にも、予測しなかった反応や結果が出たり興味深い事実が分ったりしたときに、そのことの報告で終わらせるのではなく、「なぜ、そうなったのか」「どのような意味があるのか」などを考え、それを今後に生かそうとしている研究が多くありました。とても感心しましたし、これからも研究を続けてほしいと思いました。
今、話した三つのことをぜひ参考にしてもらいながら、3年次生の皆さんは、川高での探究活動で学んだことを生かし、これからも、「なりたい自分になること」を目指し続けてください。そして、2年次生と1年次生の皆さんは、今後も学校生活を充実させ、自分の研究に一生懸命に取り組んでください。以上で、講評を終わります。
1月10日(火)に第3学期始業式を校内放送で行い、式辞として次のような話をいたしました。
明けましておめでとうございます。皆さんが自分らしく輝く一年であることを願っています。
2学期の終業式では、皆さんに実行してもらいたいことを二つ話しました。一つ目は、目の前の人に対して、何気ない振る舞いや表情、言葉遣いや言葉そのものを大事にして、小さな善い行いを心がけるということ。二つ目は、関係がうまくいかない人と一緒に何かを行わなくてはならないとき、相手が変わるのを待つよりも先に、自分の受け止め方を変えてみるということです。この心の持ち方を大事にしていると、自分の気持ちが軽くなります。
さて、児童文学の古典的冒険小説ともいわれる『宝島』という本を知っていますか。1883年に、イギリスの小説家・ロバート・スティーヴンソンによって書かれた作品です。現在の人気漫画『ONE PIECE』と比較されることも多く、皆さんの中には読んだことがある人もいるかもしれません。本校の図書館にも置いてありますので、ぜひ読んでみてください。おもしろくて、物語の世界の中に引きずり込まれます。
そのスティーヴンソンが、次のような言葉を残しています。「毎日を収穫によって判断してはならない。いかに種をまいたかによって判断しなさい」。私たちは何かに取り組みながら、目先の収穫すなわち目に見える結果を求めるあまり、結果が出ないと、やる気を失ったり途中であきらめたりすることさえあります。そのような私たちにスティーヴンソンの言葉は、
○ 種をまかなければ、収穫は得られないこと
○ 今は収穫がなくても、まいた種がいつか実って収穫を得られるかもしれないこと
○ だから一日一日を、その収穫ではなく、どれだけ種をまいたかで判断すべきであること
を語りかけています。そして、スティーヴンソンの、「種をまく」という言葉を、「努力をする」という言葉に置き換えてみてください。そうすると、「毎日を収穫によって判断してはならない。いかに種をまいたかによって判断しなさい」という彼の言葉が、わかりやすく胸の中に染みこんできます。
これからも、皆さん一人ひとりが、感染症対策を十分に行って健康に留意し、自分の夢や進路を実現させようと一生懸命に種をまき続けることを期待して、3学期始業式のあいさつとします。
12月20日(火)に第2学期終業式を校内放送にて行い、式辞として次のような話をいたしました。
この数日間はとても寒く、昨日、校舎から正門の方角を眺めると、雪の積もった山の姿がいつもよりもはっきりとしていて迫ってくるように見えました。私たちは一人ひとり、ものの見え方や受け止め方が異なります。
一方で、食料や衣類などの商品を買って暮らす私たちは互いに助け合わなければ生きられず、皆が勝手に自分の欲求だけを満たそうとすれば混乱や争いが生じるので、社会のルールをみんなでつくり、共有し、守る努力をしています。
このように、一人ひとりの感じ方や考え方、能力などが違う中で常に誰かと関わり合い、折り合いを付け、様々な目的を達成させながら生活しなければならないところにも、いろいろな悩みや不安、不満が生まれてしまう原因があります。例えば、クラスメイトや部活動部員との関係において、仲良く活動すべきだと思っていても、つい自分を他の人と比べて悩んだり、他の人が自分の思いどおりにならずに不安や不満を持ったりするのです。しかも、それを心の中に抱え続けていると、自分自身がとても辛く、場合によっては周りの人の心を傷つける言動をとってしまうことがあります。
皆さんの中で、自分を誰かと比べてしまい自信が持てずにいる人や、相手との関係をうまく保てずに困っている人はいませんか。そのような人に、特に参考にしてもらいたい、心の持ち方を二つ話します。
一つ目は、昨年度の卒業式の式辞で話したことですが、目の前の人に対して、何気ない振る舞いや表情、言葉遣いや言葉そのものを大事にするなど、小さな善い行いを心がけるということです。もし、皆さんが誰かに笑顔で言葉をかけたことによって、声をかけられた人の心が明るくなり、その人が少しでも前向きな気持ちになったとすれば、それだけで、皆さんの人生は重要な価値を持ちます。どうか、自信を持って小さな善い行いを続けてください。
二つ目は、関係がうまくいっていない相手と一緒に何かを行わなくてはならないとき、相手が変わるのを待つのではなく、自分の受け止め方を変えてみるということです。相手なりに一生懸命なのでは、理由があるのでは、問題や課題を抱えているのでは、と相手のことを思うことで、自分の気持ちが冷静になり、やがて自分の言動が変わり、それによって相手との関係がよい方に向かった経験が私にはあります。
皆さんには、今話したことを参考にしてもらいながら、この冬休みの間に、人との接し方についてじっくりと考えてほしいと思います。感染症対策をはじめ体調には十分に気を付けて、よい年を迎えてください。そして、3学期の始業式で、皆さん全員と元気なあいさつを交わすことを楽しみにしています。
12月14日(水)の3時限目、本校武道場にて第2回農業クラブ総会が開催され、成人代表として、農業クラブ選択生に次のようなあいさつをしました。
今日の総会は、令和4年度のこれまでの行事や決算についての報告や、農業クラブ役員の改選などが予定されています。
農業クラブに関する、校外での様々な大会や行事に多くの生徒が参加し、立派に取り組み、成果を上げたことに拍手をおくります。また、校内での会議や行事を運営してくれた役員の皆さんに感謝するとともに、新たに役員となる皆さんの活躍を期待しています。
そして、役員以外の皆さんに大きく期待していることがあります。皆さんを代表して、いろいろな準備をしてくれている役員の人たちを、どうか支えてください。その方法は、「FFJの歌」の中にある、〈土に取りくむ 若人の 意気と熱とが もり上げた FFJ〉という歌詞の言葉どおりに、皆さんが、意気すなわち積極的な心と熱意を発揮して、川高の農業クラブの活動を充実させることです。それを願い、あいさつとします。
12月8日(木)、第2学期校内球技大会を実施しました。どの競技も熱戦が繰り広げられ、生徒たちは楽しそうにプレーしていました。開会式と閉会式で、それぞれ次のようなあいさつをしました。
【開会式】
今、カタールで2022FIFAワールドカップが開かれています。テレビなどで試合を観ている人も多いでしょう。校内球技大会を始めるにあたり、よい機会ですから、サッカーの数多くある魅力の中から二つのことを皆さんに話します。
私は、愛媛県高等学校体育連盟のサッカー専門部長を務めていて、県総体や県新人戦、選手権大会では、決勝を観戦して閉会式や表彰式に備えます。メインスタンド正面から両チームを応援していると、片方のチームを応援したり、テレビで観戦したりする場合にはどうしても目でボールを追いかけてしまうので気付きにくい、ある光景が目に入ってきます。
それは、グラウンド全体で展開されている、ボールに合わせて全選手が動き、止まり、向きを変える、その、まるで潮の流れのように繰り返される大きな動きです。一つのボールを前にして、自分の体力・能力・知力・気力をかけて仲間に繋ぎ、ゴールを目指す。そのような大きく躍動的な「うねり」の中では、ボールを運ぶ選手たちも、ボールに導かれているかのように見えてきます。どのスポーツ競技にもそれぞれに美しさがありますが、サッカーの美しさの一つは、球技場全体にみなぎる、その大きくゆるやかに躍動するうねりだと思っています。
そして、サッカーのもう一つの魅力は「リスペクトの精神」です。競技者にも応援者にも、サッカーを楽しむために不可欠な要素として求められます。相手を大切に思うこと、相手に思いやりを持つこと、競技規則を守ること、審判の判定を尊重すること、すなわち、フェアプレーの原点がリスペクトの精神です。相手選手やチームメイト、審判、指導者、応援者、施設、用具、すべてに対するリスペクトの精神がサッカーを支えています。
今日の校内球技大会で、生徒の皆さんが、試合をするときも、応援をするときも、安全に気を付けて一生懸命に取り組み、リスペクトの精神をもち、楽しく有意義な時間にすることを期待して開会のあいさつとします。
【閉会式】
皆さん、自分自身で楽しく有意義な時間にすることができましたか。開会式後の連絡の中で話があったように、人ごととしてとらえるのではなく我がこととして受け止め、人頼みではなく自らすすんで取り組むことを、これからも続けてください。
そして、3年次生は、高校生活のまとめに向かって一日一日を大切にしてください。2年次生と1年次生は、その3年次生の姿からいろいろなことを学んでください。今日は、体と気持ちをリフレッシュし十分に休ませ、明日からまた、リスペクトの精神をもって授業や学校行事、部活動などに頑張っていきましょう。
終わりに、大会の準備や運営に協力してくれた生徒の皆さん、本当にありがとうございました。感謝の気持ちを伝えて、閉会のあいさつとします。