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「たちばな」第65号

2024年3月1日 12時33分
校長室より

「たちばな」第65号の巻頭言として、「故郷に誇りを ―自己のよりどころとして―」の題で、次のような文章を掲載させていただきました。

令和5年度は、今後の川之石高校にとって大きな意味を持つ1年となりました。令和5年3月に愛媛県県立学校振興計画が発表され、全日制の県立高校と中等教育学校が、令和9年度までに、現在の55校から45校に再編されることになったのです。八幡浜地区では、令和8年度に、本校と八幡浜高校、八幡浜工業校が統合されることになりました。2学期には新しい学校の校名を決めるためのアンケートが実施されたり、制服に関する話し合いが始まったりするなど、皆さんも、統合が近づいていることを実感しているのではないでしょうか。

ところで、この振興計画の策定に当たっては、地元の方たちの意見を聞くために、各地区で、「地域協議会」や「地域説明会」が開かれてきたのですが、県のホームページに掲載されている八西地区での記録を見ると、「八幡浜市3校の統合については、他地域に先んじた検討を」といった意見が出されるなど、県内の他の地域に比べて、高校の統合に前向きであったことが分かります。

このことについて、県内の産業や歴史に詳しい方が、「八幡浜は伝統的に商人の町だ。殿様に頼り従うのではなく、自分たちで考え行動する主体性と進取の気性を持っている。そのため、母校を残したいとの思いがあるのは当然である中、生徒数の減少等の状況から、市内3校を統合して南予最大規模の高校として発展させた方がよいと判断してこのような意見が出されたのだろう。」とおっしゃっているのを聞いて、なるほどと思いました。

皆さんは、この八幡浜地区が、古くは「伊予の大阪」と謳われ、中でも川之石は、明治11年(1878年)に本県で最初(四国で2番目)の国立銀行である「第二十九国立銀行」(今の伊予銀行)が設立された地であることは知っていると思います。

この資金を活用して、明治20年(1887年)に、四国で初の紡績会社であり四国で初めて電灯が灯された「宇和紡績株式会社」(後の東洋紡績)が設立され、同じ明治20年代に、別子銅山に次いで四国第2位の産出量を誇った銅鉱山が開発・操業されました。ちなみに、もともと川之石は埋め立てが盛んな地域で、川之石小学校や伊予銀行の辺りも海だったところですが、中学校の敷地はこの鉱山の廃石の捨て場として造成されたものです。二十九銀行を核として、川之石は、南予の商業・金融の中心地として発展しました。

では、なぜ、愛媛で最初の近代銀行が、松山でも宇和島でもなく、この川之石の地に設立されたのでしょうか。

雨井、川之石という良港を持つ川之石は、江戸時代から海運業が盛んでした。川之石の廻船問屋は千石船を持ち、地域特産の「木蝋」や魚、九州方面の米や材木などを大阪に輸送していました。川之石や周辺の豪商や豪農らも、この大阪との交易にはもちろん、長崎貿易にも直接関わっていたそうです。明治時代の記録ですが、川之石村の帆船は約500隻、年間の出入港は約2600~2900隻もあったということです。

この海運を通して、日本の商業の中心であった大阪(川之石出身者も多くいた)から、最新の知識と情報が、松山などは飛び越えて届けられていたことが、ここ川之石における銀行の設立と、その後の発展につながりました。当初、銀行設立の話は宇和島に持ち掛けられたそうですが機運が盛り上がらず、その話は「蝋座」を設けて金融が豊かであった川之石に持ち込まれました。話が持ち込まれて半年後には銀行が営業を開始しており、その対応の早さには驚かされます。

銀行を立ち上げ株主となったのは12名で、士族は含まれておらず、ほとんどが保内組の商人たちでした。設置場所は川之石浦5番地、資本金は10万円で、これは現在の価値に換算すると十数億円に当たります。話を持ち込んだ伊達家や公的な機関からの出資は一切なく、この金額を分担するため12名は同盟書を締結するなど、非常な覚悟を持って設立に臨んだそうです。

このように、ここ川之石に設立された二十九銀行は、商人の手によって生まれた銀行で、貸出先も商人が中心でした。これは、この後、松山と西条に設立された銀行が、秩禄処分の一環として士族らに交付された金禄公債の資金をもとに士族を中心に設置され、貸出先も士族の新規事業が中心であったのと対照的です。

この地域の発展に大きく貢献していった二十九銀行の設立とその背景には、ここ川之石の人たちの、先進性や企業家精神がよく現れていると思います。

そして、ここ川之石の人たちの、新しいもの、新しい世界を求める精神が現れているのは、商業の分野だけではありません。世界初の、個人の船での太平洋帆走横断も、ここ川之石港から川之石の人たちの手によって行われました。

これを成し遂げた吉田亀三郎は、明治5年(1872年)2月28日に、川之石村楠浜で生まれました。亀三郎は、宇和海の腕のよい叩き上げの漁師で、ヤマたてがうまく操船にも長け、船長としての判断力や胆力にも優れていたので、「漁師の神様」と称されていたそうです。30歳のときにシアトルに渡り5年間働いて財をなし、帰郷して事業を始めましたが、ペストの流行が原因で失敗に終わりました。失地回復のため再度アメリカを目指しましたが、日本人の流入が警戒され労働移民が禁止されていたため、亀三郎は自ら船を仕立ててアメリカに渡ることを決意したのです。

明治45年(1912年)5月5日、リーダーで船長の亀三郎を始めとする5人は、住吉丸という「打瀬船」(底引き網で漁をする帆船。船体は伝統的な和船構造で、3本の帆柱を持つ)」で川之石港を出発、一路ワシントン州シアトルを目指しました。途中、進路を失い、南のガラパゴス諸島辺りまで流されたりしましたが、そこから北に向かって航海を続け、日本を発って76日目の7月18日に、目的地のシアトルより2000キロ南のサンディエゴにたどり着きました。この住吉丸の航海は、個人の船で成し遂げられた、世界初の太平洋帆走横断です。

亀三郎をリーダーとする5人の太平洋横断は、日本人排斥の動きのある中でも、小さな船で太平洋を渡ったセーラーたちの快挙として現地の新聞でも報じられましたが、この時は移民局により強制送還されてしまっています。しかし亀三郎は翌年もまた、川之石港から大規模に25人の仲間を引き連れて2度目の太平洋帆走横断を成し遂げ、カナダへ上陸しました。この時は取り締まりを逃れ、アメリカに移動して財をなし、日本にも何度か帰国しています。記録によればカナダ東部の鮭魚場で一番の船頭として働き、サーモン漁等で行なわれるトローリング漁法(打瀬舟漁法?)を現地の漁師たちに教え、現在まで受け継がれているそうです。

この小さな船で行われた太平洋帆走横断という偉業も、ここ川之石の人たちの、積極性とチャレンジ精神を現していると言えるのではないでしょうか。

川高生の皆さんは、ここ川之石の地と川之石の人たちが、このように素晴らしい歴史と伝統、精神と行動力を持っていることを誇りとしてください。これから社会に出れば、勉強、運動、仕事など多くの分野で、自分より優れた才能や実力を持った人たちと出会うことになります。これまで自信を持ってきたものについても、その自信を失ってしまうことがあるかもしれません。しかし、そのようなときにでも、絶対に負けないものが、自分たちの故郷や故郷に住む人たちに関する知識や思いです。

川高を巣立っていく3年次生の皆さんは、故郷への誇りを自己のよりどころとして、迷ったときにはいつでも頼り、帰ってきてほしいと思います。故郷は皆さんを温かく迎え、支え続けてくれることでしょう。

卒業式

2024年3月1日 12時26分
校長室より

3月1日に、第75回卒業証書授与式を挙行し、84名の生徒が本校を卒業しました。

卒業式では、卒業生と保護者の皆様に、式辞として、次のようなお話をさせていただきました。

校庭の木々の芽も膨らみ、春の訪れが感じられる今日の佳き日に、多くの御来賓の皆様、保護者の皆様の御臨席を賜り、令和五年度愛媛県立川之石高等学校第七十五回卒業証書授与式を挙行できますことは、我々教職員一同にとりまして大きな喜びであります。厚くお礼を申し上げます。

さて、ただ今、卒業証書を授与いたしました八十四名の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんが本校に入学した令和三年四月は、新型コロナウイルス感染症が第4波に入り、本県にもまん延防止等重点措置が適用された時期でした。入学以降、皆さんは、学校生活の様々な場面で、多くの我慢を強いられてきたことと思います。

それだけに、昨年5月に、同感染症が5類に変更されて以降、3年次生となった皆さんが、体育祭や川高祭といった学校行事や部活動に取り組む姿勢は、とても素晴らしいものでした。

皆さんは、これから社会に出て進んでいく中で、今回の新型コロナウイルス感染症のように、自分自身の努力ではどうしようもできないほど大きな壁に出会うことがあるかもしれません。しかし、そのような時でも、皆さんは、簡単にはあきらめない強い心と、周囲の状況を見極める確かな目を身に付けたはずです。

壁にぶつかった時には、今、自分は何をしたいのか、自分自身の気持ちと真摯に向き合い、壁がどのようなものなのか冷静に分析して、その時その時、できることに全力で取り組んでいってください。

皆さんは、世界初の、個人による帆船での太平洋横断が、ここ川之石港から、川之石の人たちによって成し遂げられたことは御存知でしょうか。明治四十五年、当時、アメリカで労働移民が禁止される中、川之石の漁師であった吉田亀三郎をはじめとする5人が、全長わずか十メートルほどの、打瀬船と呼ばれる、帆で風を受けて進む小さな漁船で、アメリカを目指しました。彼の生涯を描いた本の帯には、「おかみの都合で、ダメェいうなら、わしゃじぶんでゆく!」とあり、彼の壮挙を顕彰した、八幡浜自動車教習所の横にある記念碑には、「自ら萬里波濤を蹴って、海外雄飛の大望を決行せしは、世人をして驚嘆振起せしむる」とあります。振起とは、奮い立たせることです。当時の厳しい状況にも、屈することなく挑戦した彼の行動は、世の人々を勇気づけました。皆さんも、この地域の先人に学び、決してあきらめず、自分の夢を追い続けてほしいと思います。

最後になりましたが、保護者の皆様におかれましては、本校の教育活動を温かく見守っていただき、多大なる御支援と御協力を賜りましたことに、心から感謝いたしますとともに、慈しみ、大切に育ててこられたお子様が、本日、卒業の日を迎えられましたことに、改めてお喜びを申し上げます。

卒業生の皆さんは、保護者の方や、これまでお世話になった方々に、素直に感謝の気持ちを伝えてみましょう。皆さんは、これまでの、「言わなくても分かってもらえる」優しく親密な世界から、新しい世界に足を踏み出すことになります。そこは、「口に出さないと伝わらない、口に出しても理解してもらえないかもしれない」厳しい世界ですが、反面、これまでに触れたことがないような考え方や価値観に出会え、自分を変えるきっかけを与えてくれる、可能性に満ちた、広い世界でもあります。

新しい世界で、新しい人間関係を築き、新しい自分として飛躍していく皆さんの、御健康と御活躍を心から願い、式辞といたします。

令和六年三月一日

愛媛県立川之石高等学校長 矢野重禎

第26回総合発表会

2024年2月2日 13時22分
校長室より

2月2日に開催された総合発表会の開会行事と閉会行事で、次のような趣旨の挨拶と講評をさせていただきました。

【挨拶】

皆さん、おはようございます。

本日は、令和5年度、第26回川之石高等学校総合発表会を、保護者の方々、地域の方々をはじめ、学校関係の方々に御参観いただきながら、開催できますこと、心から嬉しく感じています。御参観いただきます方々に、改めてお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

さて、本日の発表会は、南予で唯一、総合学科を設置する本校にとって、とても大切な行事です。

総合学科では、皆さんの主体性を尊重して、個性を伸ばし、幅広い進路選択に対応できるよう、自由度の高い科目選択をはじめ、様々な取組を行っています。その中でも大切な取組の一つが、「総合的な探究の時間の充実」であり、1年次生は「産業社会と人間」、2年次生は「総合探究Ⅰ」、3年次生は「総合探究Ⅱ」、の授業の中で、皆さんは自分の将来像を描き、課題を見つけ、研究を行います。そして、その成果を、みんなで共有する場が、この総合発表会です。

代表として発表する生徒の皆さんには、自分の研究に自信を持ち、堂々と発表してもらいたいと思います。

また、参観する生徒の皆さんには、発表内容からは  もちろん、発表者の、研究に取り組んだ気持ちや姿勢からも、多くのことを学び、自分の研究を、広げたり深めたりする、手掛かりとしてほしいと思います。

本日の発表会が、皆さんにとって、貴重な成長の 機会となることを期待して、開会のあいさつとします。

【講評】

まずは、発表してくれた皆さん、お疲れさまでした。

最初に、「産業社会と人間」で、ライフプランを発表してくれた1年次生3名の皆さん。皆さんが、自分の将来に真剣に取り組んでいることが伝わってくる内容でした。

以前もお伝えしましたが、何も行動しないまま、学力面や経済面から、自分の将来に自分で限界を設け、あきらめてしまうのは、とても、もったいないと思います。

自分の将来は、先が見えないという意味で、迷路と似ていますが、迷路も、その場に立ち止まったままでは、どの道が正しいのか、行き止まりなのかは、分かりません。

自分の将来のため、まずは行動し、一歩、先に進んでみましょう。

次に、「総合探究Ⅰ」で、ディベートの発表をしてくれた2年次生3名の皆さん。皆さんが、社会に関心を持ち、その課題を、自らの問題として取り組んでいることが伝わってくる内容でした。

皆さんが取り組んでいるディベートは、あるテーマに関して、『賛成派』と『反対派』に分かれ議論し、どちらが観客をより説得できたか、を競うことを 目的としています。このため、そのゲーム性が強調されることもありますが、私は、ディベートは、皆さんが生きていく上で、とても大切な訓練の場になると考えています。

ディベートで勝とうと思えば、意見に説得力を持たせるための根拠が必要です。物事を、うわさや印象だけで判断せず、それが真実なのか、その根拠を確かめるというのは、皆さんが 生きていく上で、大切な姿勢です。

また、私は、ここが特にディベートの大切なポイントだと思うのですが、ディベートで勝とうと思えば、相手の立論や反対尋問を予想することが必要になってきます。相手が、何をどのように考えるのか予想することは、相手の立場や価値観を尊重する姿勢につながります。

そして、相手の反対尋問を予想することは、自分の考え方を見直し、批判にも耐えうる、よりよい考え方に、改善していく姿勢につながります。

皆さん、これからもディベートに、積極的に取り組みましょう。

最後に、「総合探究Ⅱ」で、研究発表をしてくれた3年次生9名の皆さん。どの発表も、「なぜそれを研究するのか」という課題意識が明確で、「研究したことをどのように伝えれば皆に伝わるのか」という説得力に富んだ、「さすがに代表者の発表だ」、という、レベルの高いものでした。

これは、まさに、「産業社会と人間」や「総合探究Ⅰ」での、ライフプランやディベートの学びを通して身に付けた、成果であると感じました。

そしてそれは、今日、皆さんの代表として、見事な発表してくれた、9名の皆さんだけが身に付けたものではないとも感じています。

私は、これまで、「総合探究Ⅱ」の授業の時間に、各教室で、皆さん全員が発表するのを、できる限り多く参観してきました。もちろん、同時に行われているものを、全て見ることはできませんでしたが、皆さん、一人一人が、しっかりと準備をし、大変立派な発表をしているのを、見て、知ることができました。発表に対して、質問をさせてもらったりしたこともありましたが、そのしっかりとした受け答えには驚かされました。

今日、代表として発表してくれた皆さんに対してはもちろん、これまで、「産業社会と人間」、「総合探究Ⅰ」、「総合探究Ⅱ」、にまじめに取り組み、地道に、自分の能力を伸ばしてきた全ての皆さんに、拍手を送りたいと思います。

今後、3年次生の皆さんは、この成果を、自分の将来の夢の実現につなげていってください。

そして、2年次生と1年次生の皆さんは、引き続き、自分の研究に、一生懸命に取り組んでください。

最後に、発表会の運営や進行に協力してくれた、生徒の皆さん、先生方に、心からお礼を述べ、講評を終わります。

介護福祉士国家試験

2024年1月30日 15時43分
校長室より

介護福祉士国家試験を受験する皆さんに、(当日、不在でしたので)、次のような話を伝えていただきました。

皆さん、おはようございます。

皆さんが、今週末の日曜、1月28日に、介護福祉士国家試験を受験されると聞き、一言、挨拶をさせていただきます。

皆さんは、福祉系列を選択して以降、長い間、勉強と実習に励んでこられ、特に試験が迫った12月以降は、8限目までの授業や、休日の授業に 取り組むなど、最大限の努力を積み重ねてきたことと思います。

これまでの努力の成果を信じ、自信を持って、その上で、取りこぼしがないよう、試験の直前まで、勉強を続けてください。

私も、皆さんの前で、お話しをすることになった時に、その試験がどのようなものか、過去問を見てみました。

問題は5者択一で、125問あり、午前中に100分、午後に120分かけて解答すると知って、大変な試験であることが分かりました。

そして、その問題を見て、確かに法律の内容や専門用語、正しい手順や数値など、介護福祉士として求められる知識や技術を問う問題が多いのは 当然ですが、介護を必要とする方に接する際の、態度や姿勢、声掛けや質問の仕方、家族への配慮など、介護に携わる者としての心がまえや思いやりといった、人間性や適性を問われる問題も多く出題されているなと感じました。

これまで、多くの施設等で実習を積んできた皆さんは、その実践に裏付けられた知識や技術、そして何よりも大切な、介護を必要とする方へ  接する際の心構えを身に付けています。

試験当日は、緊張や不安を感じるかもしれませんが、そのような時にこそ、これまで実習を通して学び、身に付けてきたことを思い出し、自信を持って最後まで頑張ってください。

介護福祉士は、高齢化社会において、ますます重要な役割を担っていく職業です。

皆さんが介護福祉士となり、多くの人々の生活を支え、豊かなものにしていってくれることを期待して、激励の挨拶とします。

第3学期始業式

2024年1月9日 10時08分
校長室より

第3学期始業式の式辞として、次のような話をさせていただきました。

皆さん、おはようございます。令和6年がスタートして、はや1週間以上が過ぎましたが、この間、能登半島地震、羽田での衝突炎上事故といった、信じられないような出来事が、相次いで起こりました。

ふだん、当たり前だと思っていることが、当たり前でなくなり、いつでもできると思っていることが、できなくなるかもしれない、ということを、改めて実感させられた、年の初めとなりました。

2学期の終業式では、「先延ばし」についてお話ししましたが、「先延ばし」が、人類共通の習性であるとしても、「何事も、いつまでも先延ばしにしてはいけない、その時その時にやるべきこと、その時にしかできないことがある」、ということを、今、改めて感じています。

皆さんにとって、今日から始まる3学期は、各年次のまとめ、3年次生にとっては、高校生活の「総まとめ」の期間です。

と同時に、3学期は、1・2年次生にとっては次の年次への、そして3年次生にとっては新生活への、「準備期間」でもあります。

この3学期に、終わらせておくべきこと、あるいは、新たな準備として始めるべきことは何なのか、優先順位を付け、計画的に取り組みましょう。

私が、昔、担任をしていた時に、クラスの生徒に、「勉強にも部活動にも、フライングはないよ」という話をしていました。

テレビによく出ておられる、「いつやるか、今でしょ」で有名な林先生も、おっしゃっている言葉ですが、何事も早く始めた方が早く目標に到達できますし、到達する時が同じでいいなら、一日当たりにやるべきノルマは少なくて済みます。

例えば、次の年度末考査の勉強を、今日、始めてもいいのです。フライングの反則など、ありません。

逆に言うと、私たちが生きている社会の中で、誰かが「よーいドン」と言ってくれるものの方が少ないのです。社会に出れば、いつ、何をするか、ということを、自分で判断しなくてはなりません。

今のうちに、やるべきことを、やるべき時にやれるよう、訓練しておきましょう。

高校生活の今であれば、先生方もいらっしゃいますので、何をすべきか、アドバイスしてもらうこともできます。迷ったときや、分からないことがあるときには、是非、先生方に相談してみてください。教職員一同、皆さんを、全力で支えていきます。

皆さんの3学期が充実したものとなり、また、そのために、私たち教職員が、役立てることを願って、式辞とします。

第2学期終業式

2023年12月20日 09時58分
校長室より

第2学期終業式の式辞として、次のような話をさせていただきました。

皆さん、おはようございます。

先日、面白いな、と思った新聞記事がありましたので、ちょっと読んでみます。

「万博の開幕まで、あと500日」「腰の重かった政府もやっと取り組む姿勢」「参加48か国のうち、展示館の建設に取り掛かったのは、わずか4か国」「物価上昇で建設費が上がり、当初の計画がしぼむ」

といった内容なのですが、これは、先月末に、開幕まで500日となった、2025年開催の大阪・関西万博の記事ではありません。

今から50年以上前に開催された、大阪万博の、開幕500日前の記事だそうです。

1970年の大阪万博は、高度成長の勢いに乗って、日本中が盛り上がり、大成功に終わった、というイメージがあったので、この記事は意外でした。

そして、この記事は、1970年と2025年に共通しているのは、「先延ばし」であるとした上で、「先延ばし」の習性は、人類に共通のものだ、というカナダの学者の研究を紹介しています。その研究によると、

「私たち人類の脳は、食べたい時に食べて眠りたい時に眠る、といった、欲求に従って行動していた時代に設計されている。その後、農業が始まり、春には種をまき、秋には作物を刈り取るという「締め切り」ができたが、私たちの脳は、「締め切り」を守るように設計されていないので、どうしても物事を「先延ばし」にしてしまう。」

のだそうです。

ただ、この研究者は、だから先延ばしにしてよい、と言っているのではなく、先延ばしによって、莫大な損失が発生している、ということを述べています。

確かに、私自身を振り返っても、バイクの整備や、スマホのプラン見直しなど、先延ばしにしてしまい、それにより、損失が発生してしまっているものが多くあります。時間には限りがあり、やりたいことはいっぱいある中で、どうしても後回しにしてしまうことがあるのは、ある程度、仕方ないとも思いますが、大事なのは、先延ばしにしているものから目をそらさず、やるべきことを整理して、優先順位を付け、少しでも取り掛かってみることではないでしょうか。

そこで私は、この冬休みに、4月から置きっぱなしにしている、引っ越し荷物を片付けることにしました。

皆さんも、この冬休み、先延ばしにしていること、何か一つにチャレンジしてみませんか。それは、勉強かもしれませんし、部活かもしれませんし、疎遠になっている友達に連絡を取ることかもしれません。 

それが何であっても、皆さん一人一人が、何か一つに取り掛かれば、全体として250ものチャレンジが、なされることになります。

皆さんのチャレンジにより、この川高が、ますます活気ある学校となり、着実に前進していくことを期待して、式辞とします。

第2学期校内球技大会

2023年12月13日 15時47分
校長室より

12月13日に実施された校内球技大会で、次のような趣旨の挨拶をさせていただきました。

【開会式】

皆さん、おはようございます。今日は、第2学期の、校内球技大会です。

1学期の球技大会が、新型コロナ感染症拡大の影響で実施できませんでしたので、今日、予定通り、校内球技大会を開催できることを、とてもうれしく思います。

さて、球技大会は、クラス同士で競い合い、勝利を目指す行事であることはもちろんですが、競技を通じて、クラスの仲間との友情を深めるとともに、相手のチームやルールを尊重する、という態度を養うための行事でもあります。

本日は、審判の指示にはきちんと従って、道具も大切にしながらプレーしましょう。

応援する際にも、マナーを守り、相手を思いやる気持ちを忘れないようにしてください。

そのことが、皆さんの、ケガや事故の防止にも、つながってくると思います。

今日の球技大会が、皆さんにとって楽しく、思い出に残るものとなることを期待して、開会のあいさつとします。

【閉会式】

皆さん、一日、お疲れさまでした。

開会式では、皆さんに、楽しく、思い出に残る大会にしてください、とお願いしました。

私自身、皆さんが熱戦を繰り広げるのを見ながら、高校時代に、クラスマッチでの優勝を目指して、放課後、クラスの仲間と自主練習に励んだことを、懐かしく思い出しました。

他の先生方とも少しお話をしましたが、それぞれ、高校時代の球技大会には、楽しい思い出があるようでした。

先ほど、表彰されたチームの皆さんにとっても、また、惜しくも、表彰を逃したチームの皆さんにとっても、全力でプレーした今日の一日が、よい、思い出となることを願っています。

そして、今日の大会で、より強くなったチームワークとクラスの団結力を、今後の高校生活に生かしてほしいと思います。

最後になりましたが、球技大会の準備と運営に尽力してくれた、生徒会や体育委員の皆さん、先生方に感謝申し上げて、講評とします。

川高祭

2023年11月7日 08時40分
校長室より

11月3日に開催された川高祭の開会式と閉会式で、次のような趣旨の挨拶をさせていただきました。

【開会式】

生徒の皆さん、おはようございます。いよいよ川高祭が始まります。

今週、初めにあった学校訪問では、本校を訪れた多くの先生方に、皆さんの日頃の成果を見てもらい、川高のよさを知っていただくことができました。他校の先生方から、「さわやかな挨拶ができ、授業や清掃にも精一杯取り組む、いい生徒さんたちですね」、との言葉をいただき、本当にうれしく思いました。

今日の川高祭では、多くの保護者や地域の方々が本校にいらっしゃいます。先日に引き続き、川高と、川高生のよさを、多くの保護者、地域の方々に知っていただく一日になればいいなと期待しています。

そして、本日御来場の皆さま、川高祭にようこそおいでくださいました。本日の川高祭のために、生徒たちは、各部活動や年次、生徒会や委員会、家庭クラブや農業クラブ、などで、協力し合いながら、御来場の皆様に楽しんでいただけるよう準備をしてまいりました。

是非、楽しんでいただき、お言葉もかけていただければ、励みにもなると思いますので、よろしくお願いいたします。

本日の川高祭が、みんなにとって、よい思い出の一日となることを期待して、挨拶とします。

 

【閉会式】

みなさん、川高祭、楽しめたでしょうか。

最初の発表会も、その後の展示や模擬店、体験などの催し物も、観る人や参加する人に、「楽しんでもらおう」、とする意欲や工夫が感じられる、とてもすばらしいものでした。

何かをやろうとするときに、その何かをやる側、自分たちの側だけでなく、その何かを受け取る側、相手側のことを考えながら、取り組むのは、とても大切なことだと思います。

また、そうすることで、何かイベントなどに、参加する側になった時にも、その準備をしてくれた人たちのことを考えることができるようになり、イベントなどを、より楽しむことができるようになるのではないでしょうか。

川高祭、私は初めての参加でしたが、心から楽しむことができました。

今日の川高祭を、素晴らしいものにしてくれた、生徒の皆さん、保護者や地域の方々に、心からお礼を申し上げ、講評とさせていただきます。

本日は、ありがとうございました。

修学旅行結団式

2023年10月17日 07時50分
校長室より

修学旅行の結団式で(当日、不在でしたので)、次のような話を伝えていただきました。

 皆さん、いよいよ修学旅行ですね。

 「保護者の方などへの感謝の気持ち」「時間やルールを守ることの大切さ」「行動をともにする友人への思いやり」などについては、これまでにもお話があったと思いますので、私からは一言だけ。

 皆さん、修学旅行では、それぞれ楽しみにしていることがあると思いますが、旅行中、そこから少し視野を広げて、いろいろなものを見てきてください。

 私が特に見てきてほしいのは、「人」です。都会、特に東京では、いろいろな人が、いろいろな姿や服装で、地方にはないような仕事をしたり、趣味を楽しんだり、あるいは何もしていなかったりしています。それぞれが、それぞれの生き方をしていいのだな、ということが、とても分かりやすく、目で見て感じられると思います。

 皆さんは、これから進路を決めたり、いったん決めた進路を変更したり、さらには人間関係や生き方で悩んだりすることがあると思いますが、その時に、「こうでなくてはいけない」という一つの考え方に追い込まれ過ぎず、力を抜いて考えるということは、とても大切な心の持ち方です。 

 いろいろな人を見ることで、皆さんの心の弾力のようなものが、少し強くなってくれればいいなと思っていますし、期待しています。

生徒会役員及び家庭クラブ役員任命式

2023年9月22日 09時44分
校長室より

新しい生徒会役員と家庭クラブ役員の任命式で、次のようなお話をさせていただきました。

 皆さん、おはようございます。ただいま、生徒会、家庭クラブの、新役員の任命を行いました。

 生徒会も、家庭クラブも、どちらも、生徒の皆さん自身が、皆さん自身で、学校生活を、よりよいものにしていくための組織であり、活動です。そして、そのリーダーとして、様々な活動や行事を、中心となって企画し、運営を行ってくれているのが、生徒会と、家庭クラブの役員の皆さんです。

 今日は、新役員の任命式ですが、まずは、これまで、労力を惜しまず、全体のために取り組んでくれた、現、生徒会、家庭クラブの役員の皆さんに、感謝したいと思います。多くの場面で、汗を流して活動してくれている姿に、日々感心していました。ありがとうございました。

 そして、新役員の皆さん。生徒会も、家庭クラブも、1950年代の初めから、70年以上の歴史がある活動です。ということは、皆さんの過去には、現生徒会、家庭クラブも含め、会長さんだけでも、それぞれ70人以上の先輩方が、この川之石高校で、川之石高校を、よりよい学校にしようと頑張ってきたことになります。新役員の皆さんは、先輩方の伝統を受け継ぎながら、自分たちならではの活動に、取り組んでください。

 特に、来年は、本校創立110周年を迎えます。そして本校は、令和8年度に、八幡浜高校、八幡浜工業高校と統合し、新しい形の学校となることが決まっています。新しい校名のアンケートもありました。この、大きな節目を迎える時期に、生徒会、家庭クラブ役員となった皆さんは、やりがいもありますが、大変なことも多いと思います。

 全生徒の皆さんは、新役員の皆さんを、心から応援し、支えてほしいと思います。本校の生徒会、家庭クラブの活動が、新しいリーダーの下、全生徒が取り組む活動として、より素晴らしいものとなることを期待しています。