PTAだより第58号「ひまらや杉」
2025年7月18日 10時29分PTAだより第58号「ひまらや杉」に、「『ポンペイ』と『論破』」と題して、次のような文章を掲載させていただきました。
先日、世界遺産の『ポンペイ』を紹介するテレビ番組を見ていて、感心したことがありました。ポンペイは古代ローマの都市で、今から約2000年前に近くの火山が噴火し、火山灰の下に埋もれ滅びてしまいました。18世紀に発掘が始まると、火山灰が劣化を防いだことにより、当時のままの街並みや壁画、美術品などが姿を現わしました。逃げ遅れた人々が埋まった跡に石膏を流し込み再現した人々の姿は、皆さんも見たことがあると思います。
私が、感心したのはここからで、ポンペイ遺跡は、現在までに、全体の約7割が発掘されていますが、残りの3割は意図的に発掘せず、埋もれたままにしているそうです。これは、「将来、技術や知識が進歩した時代に発掘した方が、より詳細な調査ができ、よりよい状態で保存できるようになるだろう」という、未来の進歩を信じた方針であるとのことでした。
「自分の技術や知識は完全ではない」「自分が信じている理論が正しいとは限らない」という自覚や戒めを研究者が有し、それが全体の方針とされていることに、驚き、大袈裟ですが、人間というものの英知を感じました。
私が、特にそのように感じたのは、今、世界で、自分や自分の意見を絶対的に正しいものとし、立場や意見の異なる相手を徹底的に攻撃し否定するという風潮が広がっていると感じているからです。日本でも、短い言葉で相手を言い負かすことを、勝ちでありかっこいいとする傾向がSNS等を中心に見られ、このことを象徴する『論破』のブームは、子供たちの世界にも広がっています。「はい、論破」とともに使われる「それってあなたの感想ですよね」という言葉は、「小学生流行語ランキング」で2022年に1位、23年にも4位に入っているとのことです。
自分の意見を持ち、それを正しいと自信を持って主張すること、そしてその技術は、とても大切なことだと思います。ただ、立場や意見の異なる相手を否定し、自分が正しいと認めさせたとして、その先に何かが生まれるとは思えません。自説の正しさを認めさせ自説を全く変えなかったとすれば、そこには何の進歩もないからです。
今の私たちに必要なのは、「論破」ではなく「議論」ではないでしょうか。物事を〇か×か、100か0かで単純化せず、個別の複雑な事情を寛容に受け止め、立場や意見の異なる相手の意見を忍耐強く聞いた上で自分の意見を述べていく、そして自分の意見を絶対的に正しいものとせず、よりよいものへと昇華させていく。議論には時間も手間もかかりますが、これを避けてしまうと、社会の分断が進み、進歩の機会も失われてしまいます。
『論破』はあくまでゲームにとどめ、皆が『ポンペイ』の謙虚さを持ち議論すること、このことが、今の社会で求められているように感じています。