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図書館報第78号 掲載文

2023年3月3日 09時10分

 令和5年3月1日に発行した川之石高校図書館報に、「日常を生きる」と題した文章を掲載しました。

 2023年元旦に、ある新聞記事を切り抜いた。ベラルーシのノーベル賞作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんへのインタビューを特集したものだ。 
 アレクシエービッチさんは、ウクライナ人の母とベラルーシ人の父のもとで生まれた。現在はドイツで事実上の亡命生活を送りながら、ロシア語で執筆活動を続けている。「本当にロシアが大好き」な彼女は、ベラルーシの協力を得たロシアによるウクライナ侵攻を知った時に「涙がこぼれた」という。そして、この侵攻を、ロシア軍が占領した街で残虐な行為が繰り返された状況を踏まえ、「人間から獣がはい出しています」と表現している。ただ、ロシアを憎むウクライナ人がロシア文化までも排斥することには、その背景はよく理解できるものの賛同はしないとも語っている。その上で、作家として「『本当に、言葉には意味があるのだろうか』と絶望する瞬間があります。それでも私たちの使命は変わりません」、「私たちは『人の中にできるだけ人の部分があるようにするため』に働くのです」と話している。
 記事の終わり部分に、「憎しみという狂気」があふれている世界で生きる私たちは、「文化や芸術の中に、人間性を失わないためのよりどころを探さなくてはなりません」、というアレクシエービッチさんの言葉が載せられている。それから、人はどうすれば絶望から救われるのか、という記者の問いに対して、彼女は次のように答えている。「近しい人を亡くした人、絶望の淵に立っている人のよりどころとなるのは、まさに日常そのものだけなのです。例えば、孫の頭をなでること。朝のコーヒーの一杯でもよいでしょう。そんな、何か人間らしいことによって、人は救われるのです。」
 アレクシエービッチさんは、人の中にある「人の部分」、すなわち人間性を信じ、人間を愛している。だからこそ、暴行や拷問、殺害に至ってしまう残虐性や、敵国の文化までも否定する憎しみの感情に支配されない人間を、文学は育み得ると考えるのだ。作家である彼女のよりどころとなる日常とは、社会や時代の犠牲となった「小さき人々」の声につぶさに耳を傾け、それを言葉にしていくことなのだろう。
 日本の詩人・石原吉郎も、社会の片隅でひっそりと営まれる名もないありふれた生活がいかにかけがえのないものであるかを書いた一人である。石原は第二次世界大戦に従軍し、1945年に現在の中国・ハルビン市でソ連軍に「戦犯」として抑留され、冬は零下50度を下回ることもある極寒のシベリアへ送られ、重労働25年の最高刑を受けたが、1953年に特赦によって帰国した経歴をもつ。その彼の詩に、「世界がほろびる日に」という作品がある。

  世界がほろびる日に
  かぜをひくな
  ビールスに気をつけろ
  ベランダに
  ふとんを干しておけ
  ガスの元栓を忘れるな
  電気釜は
  八時に仕掛けておけ

 8年間もの苛酷な状況下で精神的危機と肉体的な苦痛の中を生きた石原にとって、世界がほろびる瞬間まで守るものは普段通りの生活であった。彼もまた、アレクシエービッチさんと同様に、ありふれた日常だけが人を救い人間性を失わないよりどころとなる、と確信していたように思える。 
 読書によって、自分を支えている見方や考え方は深まる。大事なことだと感じ取ってはいても、それを自分の中でうまく表現できないでいることは多い。そのようなときに、自分が感じていることを言い表すような言葉や文章に出会うと、幸せな気持ちになる。少しだけ自信が増し、人に優しくなれるような気がする。
 生きることに喜びと感謝をもち、小さなことやさりげないことを大切にする。これを自分のよりどころとして日常を生きていきたい。