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卒業式

2024年3月1日 12時26分
校長室より

3月1日に、第75回卒業証書授与式を挙行し、84名の生徒が本校を卒業しました。

卒業式では、卒業生と保護者の皆様に、式辞として、次のようなお話をさせていただきました。

校庭の木々の芽も膨らみ、春の訪れが感じられる今日の佳き日に、多くの御来賓の皆様、保護者の皆様の御臨席を賜り、令和五年度愛媛県立川之石高等学校第七十五回卒業証書授与式を挙行できますことは、我々教職員一同にとりまして大きな喜びであります。厚くお礼を申し上げます。

さて、ただ今、卒業証書を授与いたしました八十四名の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんが本校に入学した令和三年四月は、新型コロナウイルス感染症が第4波に入り、本県にもまん延防止等重点措置が適用された時期でした。入学以降、皆さんは、学校生活の様々な場面で、多くの我慢を強いられてきたことと思います。

それだけに、昨年5月に、同感染症が5類に変更されて以降、3年次生となった皆さんが、体育祭や川高祭といった学校行事や部活動に取り組む姿勢は、とても素晴らしいものでした。

皆さんは、これから社会に出て進んでいく中で、今回の新型コロナウイルス感染症のように、自分自身の努力ではどうしようもできないほど大きな壁に出会うことがあるかもしれません。しかし、そのような時でも、皆さんは、簡単にはあきらめない強い心と、周囲の状況を見極める確かな目を身に付けたはずです。

壁にぶつかった時には、今、自分は何をしたいのか、自分自身の気持ちと真摯に向き合い、壁がどのようなものなのか冷静に分析して、その時その時、できることに全力で取り組んでいってください。

皆さんは、世界初の、個人による帆船での太平洋横断が、ここ川之石港から、川之石の人たちによって成し遂げられたことは御存知でしょうか。明治四十五年、当時、アメリカで労働移民が禁止される中、川之石の漁師であった吉田亀三郎をはじめとする5人が、全長わずか十メートルほどの、打瀬船と呼ばれる、帆で風を受けて進む小さな漁船で、アメリカを目指しました。彼の生涯を描いた本の帯には、「おかみの都合で、ダメェいうなら、わしゃじぶんでゆく!」とあり、彼の壮挙を顕彰した、八幡浜自動車教習所の横にある記念碑には、「自ら萬里波濤を蹴って、海外雄飛の大望を決行せしは、世人をして驚嘆振起せしむる」とあります。振起とは、奮い立たせることです。当時の厳しい状況にも、屈することなく挑戦した彼の行動は、世の人々を勇気づけました。皆さんも、この地域の先人に学び、決してあきらめず、自分の夢を追い続けてほしいと思います。

最後になりましたが、保護者の皆様におかれましては、本校の教育活動を温かく見守っていただき、多大なる御支援と御協力を賜りましたことに、心から感謝いたしますとともに、慈しみ、大切に育ててこられたお子様が、本日、卒業の日を迎えられましたことに、改めてお喜びを申し上げます。

卒業生の皆さんは、保護者の方や、これまでお世話になった方々に、素直に感謝の気持ちを伝えてみましょう。皆さんは、これまでの、「言わなくても分かってもらえる」優しく親密な世界から、新しい世界に足を踏み出すことになります。そこは、「口に出さないと伝わらない、口に出しても理解してもらえないかもしれない」厳しい世界ですが、反面、これまでに触れたことがないような考え方や価値観に出会え、自分を変えるきっかけを与えてくれる、可能性に満ちた、広い世界でもあります。

新しい世界で、新しい人間関係を築き、新しい自分として飛躍していく皆さんの、御健康と御活躍を心から願い、式辞といたします。

令和六年三月一日

愛媛県立川之石高等学校長 矢野重禎